エッセイ

世界は泣いている・・・・だから私はなんとかしてやりたいと思っているんだ



日時 題名 日記
2018年1月某日 そして2018年クーペの話

※後日ちょっと書き直しました。

会場は最高だった。
自分としては山手線から近くて、駅に近くて、トイレがいい感じならもうそれだけで最高。

運営、進行、実況解説などなどは私が何か言うまでもなく最高。
人間の熱意とはすごいものだとまた思わせて頂いた。

あの場でリアルタイムで「堕天使」の活躍を見れたことをとても幸せに感じている。
やっぱプレーオフBは至高。



■プレクーペ

当日は朝の9時には到着。リーグ表を確認する。

ユンチームが居てしかもメンツが強いのでまずそこでガクッと来る。

もう一つはQチーム。しかもSA3を使うことを堂々と宣言しているチーム。
そのうちの少なくとも二人は手ごわいことを知っていた。

結果は0勝2敗で終わった。


【Qチーム:爆伴戦隊ディエンジャー戦】

幸いにして私は3人を倒すことができたのだが
倒したかった相手に止められてしまった。

それはアイハラマキ氏である。

氏との因縁を語ろうかなという気になったので書くが
おそらく氏は私の存在すら知らない。
つまり勝手にこちらが強く意識しているだけであることは断っておきたい。

大分前のことになるが
高田馬場ミカドで小規模な大会がありそこで
今日は勝ちたいなぁという気分のときに
見事に氏にやられてしまったことがあった。
(とりわけ1ラウンド目にリバサ腹部で死んだのが勘に触っていた)
そんなことがあったので私は覚えているのである。

いつかやり返してやろうとは思いつつもその後対戦することが無かった。
私もアーケードはほとんど行ってなかったので仕方ない。

氏はその後ビギナーズチャンピオンシップカーニバル(BCC)で2連覇という偉業を達成。
これははっきりいってすごい。
ただのイロモノではないことを業界に見せつけた。

そういうのもあったので気になっていたのだが
まさか今回のプレクーペで当たるとは思わなかった。

そしてまた負かされた。
その後チームは4タテ食らった。
なんともはやである。

(※なお氏は私を倒した後はSA2に変更した。
SA3で勝てる相手ではないという判断だったと前向きに受け止めておきたい)

なんとなくまたいつか辛酸を嘗めさせられそうな予感がしている。


【ユンチーム:しぶすぽ戦】

キャラもメンツも強い。
勝てるわけないでしょうが(笑)

いや、でも他のメンバーは全く臆することなかった。
すごいなと思った。

自分はいいとこなし。
他のメンバーはいい攻略を見せてくれたが勝ちに届かず。残念。
からなげさんの「とある間合いでは雷撃が当たらない」理論に基づく中肘お仕置きはちょっと感動した。

しかしやはり厳しいな現実は。
今回のチームで2試合しかできないのはとても残念だった。
勝負とは非情なものである。



■クーペ本戦

リーグ表を確認すると神保町ゲームタローと書いてあって逝ったあああああああ。

もう一つはVGAロボット深谷チーム。
ロボット深谷と言えば、クーペに筐体を提供する際に
ボタンとレバーを全部新品にしてから届けてくる神のようなゲーセンという話は私も知っていた。
そこの常連となるとガチやり込み勢に疑いない。

悲壮感をもって臨んだ。
その悲壮感にふさわしい結果でもって我々のクーペは終わった。

結果?
0勝2敗。
1年ぶり2回目。またかよ。


以下頑張って何か書いてみたい。

【VGAロボット深谷戦】

・相手が最初にヤン出したのが大正解。
・大将で自分が出て2人抜きの奇跡を達成。特に緊張はしなかったが、そもそもNEが大将ってのがもうなんか。
・W吹上まことと全然やってなかったのが災いし、普通に例のタイミングで裏回り唐草から即死コンボで死亡。
ラウンド始まる前にあのムーブに注意って思ってたけどかわせなかった。いいゲームだ。
・他のメンバーはいいとこがあまり出せずだった。残念。


【神保町ゲームタロー戦】

・こにたんさんのノーヒットノーランで僕らの夏は終わった。冬だけど。
・マジで誰も1ラウンドも取れなかった気がする。
・ネクロ同キャラは超電磁だと思ってたが、その上の概念として「相手が格上ならエレク」だったことをうっかり失念。
・あっちから誰が来ても5タテだった気がするくらいレベル差があったのは秘密。

■その後

知ってる人に挨拶したり、
プロゲーマーのあの人この人を実際に見てちょっと嬉しくなったり。
(特に自分は去年はⅤのCPTプレミア、EVO、CC全部見てたので感動もひとしお)
近くで飯食ったり。

当日帰る人もいたのでプレーオフBを見届けると脱出して居酒屋。
(なお、OJAはプレーオフBに出ていたが中継に映らずだった模様)

居酒屋では
「西条って自分にとっては楽しかった記憶しかないんだよねー」
「ありえねっす!」

などのとても不毛な会話をしていた。

その他硬軟終りまぜ23時頃終了。

以上。
感謝、感謝、感謝。
2018年1月某日 2018クーペまでの話 2018のクーペが終わった。
主催の松田さん、クーペ運営に携わったすべての人に感謝致します。
プレ、本戦で一緒にチームを組んでくれた方に幸ありますように。


2017年のクーペ以降の話を思いつくままに書きたい。
誰かの目線を気にせず書きたいことを書く感じなのでご容赦頂きたい。



5月頃は京阪名に旅行に行き3rdの対戦をする予定があったのでその時期は3rdをやっていた。
(その旅行の件は以前ここで書いている)
しかしそれ以降はなかなかできていなかった。

次のクーペ参加を意識して練習するようになったのはおそらく9月頃だった。

その頃はキャラを変えようかとまだ思っていたのだが、
以下の二つの理由でそれは無くなった。

ひとつは10月頃から仕事が深刻になりやり込みができずその選択が不可能になったこと。

もうひとつは秋ごろから大山ニュートンのビギナーズ大会にたまに参加するようになり
使い慣れてない強キャラを投入するというのも難しかったので
ずるずると行ってしまったこと。



なぜビギナーズに出るようになったのか。
動機はいまいち思い出せないのだが、
多分次のクーペに備えてどうこうとか適当に考えたのだろうと思う。

初出場でいきなり優勝となった。
これは屋根さんが要所で勝ってくれたからであった。
彼はビギナーズあるあるの「全くビギナーズではない」レベルの強者であった。

ただビギナーズに関してはそういったことよりも
「数時間のフリープレイを実力が同じくらいの人と集中的に対戦できる」ということが
大変意味があった。これに後から気づいた。

確か記憶だと、
9月優勝して
10月はエントリー締め切り後に現地到着、
11月は敗退。
11月のBCCも出たけどルーザーズ二回戦で敗退。
12月は出ていない。



さて2016年~前のクーペ頃の話だが、都内アーケードの対戦なり通信対戦なりやると
初心者には勝てるが、中級者の中弱キャラに五分で不安定な内容に終止、
それ以上のレベルにはほぼ処理される、
みたいな対戦結果が延々と続いた。

「その先の世界」は自分の中で全然見えてこなかった。
なので限界を漠然と感じていた。

このキャラでA級プレイヤー以上に勝つには
特別な才能か非常なやり込みが必要で
それは自分には難しいことなのだろうと思うようになっていた。



そして話がビギナーズに戻るのだが、
自分と実力が近い人と延々とフリープレイしていると
当然ある程度連勝する機会もあるし
対策されたりもするわけだが
その中で言葉では表現しづらい勝ち方のノウハウみたいなものが蓄積されていった。

ビギナーズに出始めた頃は通信対戦もまた再開していた。
対戦数はそこそこ増えていた。
その相乗効果でなんとなく以下のことを考えるようになった。

ひとつは精神的な圧を与えてないと勝てないということ。
ひとつはできるだけ動きを予想されないこと。
ひとつはできるだけ最大を決めること。最大を決めれないことを都度反省すること

これらを常に抑えてない段階ではA級に10中2~3引くことも無理だと。



次は具体的にプレイのどこを改善したかみたいな話を書こうと思うのだが、
恥ずかしい話になってしまうので、一つだけ書くことにしたい。

ひとつは「相手がグラップするとこに致命的な打撃を置く」ということだ。

それまでは択の全部を選択肢とつつ
起き攻めからどれかをヒットさせることを一番意識していた。
それは勝つこととはちょっとずれていたと思う。
視点がミクロすぎる。
もっと違う概念で勝負どころを決める必要があった。

ということで私は2017年の秋から
ものすごい殺意を持ってネクロアッパー振るようになった。

ある時期からこう考えるようになった。
兄ケンさんの神の2択ではないが、
もう投げかネクロアッパーの2択で割り切って脳内メモリ節約して
他のことに目を向けようと。

相手にも「こいつこれしか狙ってない」という意識を与えたほうが
むしろ飲めるところがあるのではないか、みたいな考えだった。

なおネクロを使ったことある人はわかると思うが
ネクロアッパーは上下ブロ取れるし、
密着なら相手に普通に投げられてしまうので、グラップ狩りするためにはコツがいる。
ただそこは自分なりの経験があったので何となく身に着いた。
この辺りは昔3rdをやってたからサボれた場所である。

そんな感じである時期からそういった戦術を取るようになったのだが
今までと空気感が変わった。
想像以上に相手がこれを嫌がるのである。
(なお、下段択やら中肘ヒット確認択も全く使わないわけではない。)

特に画面端に行ったら1~2回読み勝って終わったということが増えてきた。
こちらのコマンド入力は単純なので
択に迷って入力ミスしたりなんとなく逃げられたみたいなことも減った。
思考に余裕があるのでその状況からアドリブが効くこともあった。

ネクロアッパーをガードさせるだけでも
心理的圧迫を与えてる感があった。
まあ実際に同キャラ対戦で自分がやられる嫌な気分になるし。

そのうち画面端に追い込んだら
そのまま殺せそうな気がするぞ、という実感に至り
相手にゲージがないなら確反覚悟でEXトルネードフックで画面押してしまえとか
パワープレイなどもするようになった。

その段階に来て初めて「ネクロの画面端は厳しい」とか
「連勝するために相手に与え続けなければいけない圧力」とか
色々新しいことがわかってきた。
プレイ中はかなり冷静になった。



そういった話とは別に
キャラ対策なども最低限調べたり聞いたりして埋めていったり、
ムーブを見直したりした。できる範囲で。

そこまでいってやっとA級に2~3引けるかもというところが現実的になって、
何だか面白くなってきた。



10月末頃に次のクーペに出るか出ないかを整理し始めたのだが、
OJAがThe蛮哲チームでは出ないことになったので
これは出場無理かと思って、自分もほぼそのつもりだったのだが、
関西のメンバー2名が運よく来れることになり、
うち1名は去年未参加だったためモチベがあったのもあり、
ではまあやりましょうかということで
本戦には出場できることになった。

プレも最初は出場する気がなかったのだが、結果的には出ることになった。
→3チーム目が簡単にできそうな気がする。
→全然人出てこず。
→諦めモード。
→山梨のざんとさんが出てくれる。
→しかも京都のホネさんを紹介してくれた。
→からなげさんがぎりぎり参加できることになった。
という奇跡な感じだった。



10月~12月中旬は仕事界隈がまずかった。
あまり細かく書くのは控えるが、
高ストレス+休日が存在しない時期もあったりと
人生で一生思い出したくない時期ベスト5に入るという感じだった。

しかし着々とクーペは近づいていた。
最低週1程度は通信対戦やニュートンで1~2時間はやったんじゃないかと思う。

元々健康を考えてやり始めたことなのだが、
「酢」を飲むとゲームをしても頭痛がしなかったり緩和したり
翌日残らないというのを発見したので
私は必ず酢を飲んでからゲーセンに行くという不気味な中年と化していた。

また、去年CPTを見てた影響もあり、ゲーム中は水分を多めに補給するようにした。

一番きつかった時期は仕事のことしか24時間考えられなくなっていたが
ニュートンで対戦してたらようやくそのロックが外れるという経験があって
格ゲーも実生活に役立つこともあるなぁとか新鮮な体験もした。



そんな日々の中考えさせられる対戦がいくつもあったので
(珍しく具体的に)いくつか紹介したい。

ビギナーズでいきなり連覇して卒業したドラマーさんだが、
あの結果に驚きは全くなかった。
ちょっと野試合しただけで「あ、この人は強い」とわかっていた。

決勝で当たったら4:6以上で負けそうだと思っていたのだが
本当にあたって負けた。(多分これが11月のことだと思われる)

択もムーブもきつい。
一度クーペに出るのかを聞いたら、
「自分なんか出ていいレベルでない」のような反応だった。
うちのチームなら5タテされてもおかしくないが・・・

通信対戦の話。
とあるTWと滅茶苦茶連戦してた時期があった。
なぜ夜中の1時~2時にネクロとTWで20連戦近くもやっているのか謎だった。
しかも相手は自分が辞めるまで続ける気満々な気配である。
最終的には負け越しつつ逃げた。
画面端でダウンしたら、滑空大K→(表裏わかんない)→EX針→大P追い打ちみたいなのがきつい。
後日船橋ファンファンの最終日に行ったらその人と思われる人がいたのだが
結局誰だったのか不明のままである。
おそろしくキャラ対策していたプレイヤーだった。
試しに春リュウで入ってみたらボコボコにされた。

あと通信対戦ではリュウのとある知らない人とも一時期滅茶苦茶対戦していた。
大体五分だったので有意義な対戦だった。

そういえば通信対戦と言えばLIDEさんには2017年もたっぷりと処理された。
自分の中では神の一人である。

ちょっきんさんにはニュートンで結構やられているので
エレナ対策を考えるきっかけになった。
しかしそこで得た対策もとある日あつがりさんにぼこぼこにされて
崩壊したままクーペを迎えることになる。

そもそもネクロはゴウキ戦が厳しい。
船橋ファンファン最終日でも全く勝てずだった。
その勝てなかったプレイヤーの一人が今回壇上に行ったまんまさんだったようだ。
厳しい認識のままクーペ当日を迎えることになった。

年末に松戸ソニックビームが50円2プレイに特別に設定した日があり、
OJAに招待されたので数時間顔を出した。
そのときに何人かと濃密な対戦をしているのだが、
TMさんとも対戦することができた。
対ネクロ戦がものすごく独特で面食らったが、
ネクロ使いの情報網で後で確認するといつもそういうムーブをしていることがわかった。
あれは初見だと相当つらい。

Qはちょいちょい対戦機会あった気がするが
一度ニュートンでおそらく弁当屋さんと思われるQとかなり連戦したのだが
目がものすごくよくて難儀した。
ぎりぎりすかるライジングコブラを見てから突進腹部を決められたり。
こっちがランダムで出す前J小Kに、前ダッシュ裏から立中K腹部とか。

ユリアン戦については色々やれたと思うのだが
相手のネームバリューとはあまり関係なく
引ける人には引けるし引けない人には引けないという感じが続いた。
なお、たいへーさんにはコテンパンにやられている。

ハメの抜けは普段やり込んでないと
手が動かないなというのは感じた。
対オロもそうなのだが。
頭で文章で考えると全く間に合わない。

まこと戦は結局明確な答えを得ることができないままクーペを迎え
本戦で贖うことになった。

2017年もトミナガさんには1勝もできてないので
そろそろ40~50連敗かそれ以上になってると思う。

まだ何か色々思い出すかもしれないが
キリが無いのでここらで辞めておく。

あとはプレと本戦の話を書きたい。

2018年1月某日 EVENT HUBS その2 ■Five Monster

チームメンバー
- Kuni (Ryu)
- Nuki (Chun-Li)
- Boss (Ken)
- Sho (Yun)
- Yomoda (Dudley)

ここにもう一つのレジェンド勢がいます。ヌキはおそらく3rdで最も有名なチュンリーです。
そしてあなたはもちろんこのイベントで彼の卓越したプレイを楽しむことができるでしょう。

このチームは去年優勝したチームのメンバーが三人います。
上記のヌキもそうですが、くにとSHOです。それぞれリュウとユンを使います。
彼らは自分のリストにもう一つ優勝が加えられるのをもちろん望んでいるでしょう。

彼らはボスのケンとヨモダのダッドリーによってバックアップされ、
チーム名が示すようにこのチームを五匹のモンスターにするでしょう。



■Kemonokokanzu

チームメンバー
- Kokujin (Dudley)
- Yukiotoko (Akuma)
- Terubou (Yun)
- Masa (Q)
- Luka (Makoto)

3rd好きでこくじんが誰かわからない人はいないと思います。

おそらく最も注目されているダッドリー使いであるこくじんは3rdの神の一人です。
それだけでも目を引くチームです。

もちろんチームは1人ではなく5人の選手で構成されています。
雪男からみていきましょう。

彼が最も名声を得たのは「闘劇2008」です。彼はチームをベスト4に導きました。
彼のゴウキは爆発的な存在で狂暴です。

残りのメンバーは誰も怠け者ではありません。
彼らは各キャラクターの使い手として有名です。てるぼうのユン、マサのQ、ルカのまこと。
驚異的なスキルでスター選手をバックアップするでしょう。



■Kunimatsu Family BIG ONE Branch Office

チームメンバー
- RX (Urien)
- Shibu (Makoto)
- Ippei (Chun-Li)
- Zabi (Akuma)
- Hiyashinsu (Yun)

RXのユリアンは3rd史上、最も大きな存在といって良いでしょう。
2003年からトップレベルで活躍している彼は卓越したユリアンのプレイを見せ続けています。
そして今回のイベントでも恐るべき闘争を見せるでしょう。

RXはこのチームの大スターですが、他のメンバーも熟練したプロです。
ざびは2008年から活躍していますし、
彼らは強力なキャラを使用しているので相手チームは打撃を受けるでしょう。

2017年12月某日 EVENT HUBS その1 「EVENT HUBS」は海外の格ゲーニュースサイトだと思われるが、 次のクーペについての記事が書かれたようだ。

以下、和訳にトライする。
(英語は苦手なのでご容赦ください。適当です。)


■タイトル

ウメハラが「クロダ、MOV、ハイタニ、ヴァナヲ」と3rdのイベント「クーペレーションカップ」に13年ぶりに出場します。

― いくつかのチームを見てみましょう。

■タイトル(サブ)

彼らのチームは全員レジェンドですが、3rdの神プレイヤー達に阻止されるでしょう。

■本文

「クーペレーションカップ」は3rdを見て楽しむ人々にとっていつも大きな出来事です。

この1年に1回のイベントは5人でチームを組み対戦します。そしていつも大きな想像をさせてくれます。

今年は108チームが登録されていますが、それは1/6のこのイベントに540人が参加するということです。
(日本時間なのでアメリカでは1/5)

(当記事の)タイトルから言えるのは、今年はとある1チームが全員レジェンドだということです。

彼らは既に3rdはやり込んでないけれど、歴史上のビッグネームです。「CYG|Daigo, Kuroda, GRPT|MOV, GRPT|Haitani and Vanao」

もちろん、たくさんのチームが参加します。

そして当記事では、今から2週間後の2018年に何が始まるのかをあなたに味わって戴くため、 いくつかのチームを紹介します。


■9road

チームメンバー
- Liberty Independence|Vanao (Ryu)
- GRPT|MOV (Chun-Li)
- CYG|Daigo (Ken)
- YouDeal|Haitani (Makoto)
- 9road|Kuroda (Q)

このチームを説明するのに十分な言葉がありません。
全員がレジェンドですがほとんどのメンバーは(3rdを)プレイしていません。

あなたは彼らが深刻なダメージを受けるのを見るし、彼らの戦いが中継された場合、大きな宣伝効果があるでしょう。

いくつかの良いキャラが選択されています。

3rdをたくさん見る人々は飽きてるかもしれないチュンリーとケン。抵抗することが困難なMOVチュンリー、ウメハラケンの遺産。

- 実に格闘ゲーム市場最も有名な瞬間の主役(EVO Moment #37)

ハイタニのまことはもちろん見るべきものです。

ヴァナヲは3rdで悪くないキャラクターであるリュウを使います。これは強キャラではありません。

弱キャラと言えば、クロダはこのゲームのあらゆるキャラクターがどれほど強いかを私たちに見せてきました。

彼の有名なQはこのイベントで汚れ仕事をするでしょう。

多くのビッグチームがありますが、ネームバリューではこのチームが最大です。
2017年12月某日 池袋。明治通り。冬。 とりあえずこの3か月はマジで仕事がきつかったです。

記憶飛んでます。

秋が来るかな?からのクリスマス。
そんな感じでした。

ただ3rdは最低限はやってた気がします。当社比で。

きつすぎるときに延々と3rdで対戦してて
少し救われた日とかがあって、色々考えさせられました。


■クーペ

なぜか次もプレも本戦も出ることになってました。

今言うことじゃないのかもしれませんが
2019年は出ないつもりなので、
それもあるので今回は楽しみたいと思います。
勝ち負けよりいい試合がしたいなと思います。


■船橋ファンファン

ごくたまに行ってたファンファンが閉店。
最終日に遠方の知人が行くと言っていたのもあり、私も行きました。
2017年5月 2017クーペをあえて今語る ※ロートルの戯言です。
酒も入っているためかなり適当な内容になっております。
問題あればご連絡頂ければ対応します。


■第1試合

C:相手覚えてないんだよなあ。

B:自分がメモしてきたので大丈夫。
「ユリアン×3、リュウ、ダッドリー」ですな。

A:「3強がいないチーム」と「3強が一人いる蛮哲」とだったんだよね。

C:そう言えば、あのとき某さんが話しかけてきたんだよ。
「Cさん久しぶり」って。

あぁこの人自分のこと知ってるのか。嬉しいな~って。
すると、その人は相手チームを知っていたらしくて
こう言ってきたの。

「あいつら若くてイキのいい奴らなんだけど、
『The蛮哲って何ですか?』とか言ってるんですよ。
あんな奴らやっちゃってください(笑)」

よし、「じゃあちょっとここらで10年以上やってる
ベテランの力をみせてやろうじゃないか」
という気持ちはあった。
でも・・・ダメだった(笑)

一同:(笑)

B:まあしゃーないですよ。
あのときCはすごい考えてたよね。作戦。

A:考えてたね~。「オロはわからん殺しが出来るから後ろのほうで・・・」
ってことになったんだよね。

C:この前のクーペだけの話じゃないんだけど
俺は「キャラ対がどうこう」とかは
地方プレイヤーだったしよくわからないんだよね。

チーム戦のやり方って二つあると思ってて、

・キャラかぶせ
・プレイスタイル

だと思うんだけど、
自分は「プレイスタイル」を採用したいのね。
だから、Aは「動じない」から後の方に取っておいた。

自分は後ろに来ると弱い。
じゃあ、前だったら強いのか?というとそんなことも無いんだけど(笑)

A:確かにCは後ろだと弱い(断言)。

B:うーん。いつもの動きじゃなかったと思うね。

C:そう。
自分は前の方で「えいやっ」みたいな出方の方が普段の動きができる。
どっちかというと早く出してほしい。

C:大丈夫だよ。次はチュンリー二枚いるから(笑)

B:そしたら相手強いっすよ?(笑)。
(おそらくリーグの調整の結果で)
すごい強いチームと当たることになるだろうから。

A:じゃあQ二枚にしとくか。

一同:(笑)





C:自分は大将で出て、まくって勝ったこととか無いんだよね。

B:ユンだと柔らかいから難しい気も。

A:チュンリーいたら「後」で、ユンは「前」に置くよね。

C:相手がどこだからでなくて
「このタイミングで出る」とか自分で決めたいんです。
1プレイヤーとして。

だから第二試合は(そうして出たのに負けたから)ちょっとふがいなかった・・・

A:多分なんだけど、Cは闘劇とか三人制の奴に出てたじゃん?
あれは出方決めやすいと思う。
五人は難しいと思う。
考え方変わると思うのね。





C:いわゆる3強3凶ってあるじゃないですか。
自分はユリアンとかダッドリーとかより
「チュンリーと闘りたい」のよ。
正直言ってね。

仮にだけど、自分が後ろに残ってて
「ユリアン3人やっつけてください」とか正直勝てる気しない。
(3凶相手に安定して負けないのは難しい)

A:俺は「後ろ」のほうがいいだろうな。
リスクがある行動とらないから。

C:正直、一試合目の試合のことは
(もう半年は経つから)覚えてないんだけど
「これに勝つのは無理でしょう?」って気持ちはあったよ。





B:そういえばあのとき「誰が最初に出るか?」ってとこで
「自分が出るしかないな」とは思ってたなぁ。

結局一人目のユリアンには勝てたんだけど
実は自分は「相手を知っていた」んだよね。

(ある場所ではかなり負けてたんだけど)
どういうレベル感で来るか知ってたから
それで勝てたところはあると思う。

二人目はダッドリーだったんだけど
なんとなく負けた感じだったかな・・・

で、その後誰行ったんだっけ?


A:D→Eだったんじゃないかな?

C:あー「Qはダッドリーにはぶつける」はあると思うね。

B:Dは「ダッドリー苦手」って言ってたけど(笑)

A:あ、その話はその場でも出てたよ(笑)

で、その後。
ダッドリー戦でEが「EX-AXE」を連続HITさせて
Cがすげー喜んでた(笑)

C:「めくりの滑空J大K→EX-AXE」
あれ実戦で決めるのはすごい。12の最大なんですよ。
Eは結構やれたと思う。
Dの調子が悪かったかな。





B:で、その後はAですかね。
相手はまだ二人目のダッドリー。

A:ブロッキングして「近中P」入るところ
「中K→仁王力」やってたのがまずかった(笑)





A:その後、Cが出てダッドリーに勝って
ユリアンに負けたんだっけ。

B:あれは勢いでやられた感があったかな・・・
ダッドリーも「今勢いある人」だったしね。

C:とにかく若手だったよね。
自分らより10歳若かった感じだった。

A:(俺達は)もう目がついていかないからね。

一同:(笑)

B:残念だけど我々はやられてしまった。
まあ、みんなが試合出れてよかったんじゃないかと。

A:負けた後、次の試合始まる前に
(第二試合の)相手のチームを全力で応援してた。

「(第一試合の相手チームを)やっちまえ~」って

でも結局俺達もやられちゃうんだけど(笑)
あのいぶきうまかったよね~。

C:ちゃんとEX風斬りのコンボ決めてたよね。
ユリアンとか長身のキャラにしか入らないやつ。

B:あのときあっちのチームが勝ったんでしたっけ?
覚えてないな・・・

C:そうだよ。






■第2試合

B:「まこと、ヤン、ケン、イブキ、ダッドリー」ですな。

C:(連敗を)止めるつもりで(大将でなく途中で)出たんだけど負けたんだよね。
申し訳なかったなぁ。

B:まあしゃあないですよ。
第二戦の相手は相当に強いと自分は思ってた。
だから第一戦負けた時点でダメ感はあった。
戦略的な話になっちゃうけど。

C:そもそも我々のリーグってキャラ構成的に結構恵まれてたと思うんだよね。

B:あぁ多分、下から二番目くらいだったんじゃないかなぁ

A:まだ下があったの?

B:あったと思いますね。

C:我々は「12、ネクロ、Q」とかいるわけで、そりゃ弱いよ。

A:次に強いのが「オロ」だぜ?

一同(笑)

B:ほんともうやめましょう。あの(キャラ構成の)チームは。
ちゃんと強いキャラも使わないといけないってことで。

C:でも、仮に次のクーペがあってしかも参加したとして、
「今までのキャラをそのまま続ける」というのも
「選択肢としてありじゃね?」と自分は思ってるよ。

B:うーむ・・・。(自分の実力では)今のキャラだときついんだよね。

C:Aにはオロ使って欲しいと思ってる。
チュンリー二枚とかになるとえげつないリーグに入るだろうから。





C:個人的には、第二戦はいけるんじゃないかな・・・と思ってたの。
相手チームの試合を見ていて、我々と相手と一戦ずつやり終えて、
我々の方がほぐれていると感じたのね。
きっと相手は我々以上に本調子じゃなさそうだ。
十分勝機はあると。

B:第二試合は誰が最初に出たんだって

C:まこと相手にDが出た。

B:え、まことQって相当きついんじゃなかったっけ?

C:(Dはあの日)あまりに動けてないから先に出たんだと思う。
そのあと、D→Eで出てどちらも負けたんだよね。

B:12・まことも無理じゃない?(笑)

C:無理だね。
そこで俺は後ろに残されたくないので出たはず。流れ止めようってね。

A:あれ?でも二人やられた後、
「行きたい人?」って話しになって俺が出たよ。

C:あ、そうだったんでしたっけ。

A:で、まことにやられた。
最後は石で固めてる時、正中ぶち込まれた(笑)

B:その後Cはまことに勝ってダッドリーにやられてるはず。
イブキとケンは結局出てこなかったはず。

で俺はダッドリーになぜか勝てちゃったけど
その後ヤンにフルセットで負けたんだよね。

最後リープから転身食らって負けたんだけど
まだグツってるんだよね(笑)
そんなのやってくんのかよ!って。

一同:(笑)

A:確かCもヒリヒリ展開だったよ。
「決めれば勝ち」だってとこで落としてた。

C:んー。

B:あの日は相手もこっちもグダグダみたいな試合結構ありましたよね。





B:いやぁ(このトーク企画だけど)当初思ってたのと違う話が出てきた。
もっとくどくどと「誰に誰をぶつけるか」とか
戦略の想い出話が出てくると思ってた。

C:まぁもう覚えてないんだよね(笑)

A:いやーでも大会って面白いよね。
オロってみんなやりにくそうだなぁって思った。

B:オロ・ダッドどうなんだろう?

C:オロ有利だと思う。

A:「空ジャン→オニヤンマ→キャンセル→魂(SA2)でハメて勝ちましょう」とDが言ってたんだよ。

B:本番中にそんなレベルの話してどうするんですか(笑)

A:そっからどうするの?って聞いたら
「そっからは適当に」

一同:(笑)

A:しょうがないなやっぱ俺はオロ使うか。
逃げてる時、変なアドレナリン出ちゃってるもん。

C:以前Aが言ってたじゃないですか。
「COM戦でタイムオーバーまで逃げるのが楽しい」って。

A:すごい楽しいもんあれ。30分くらい遊べるんだぜ。

一同:(笑)





C:第二戦の自分の登場時はね。
「流れを止めなきゃ」って思ってた。
なんかこのままじり貧で押し切られて負けるのは一番嫌だなって思って。

A:俺はまことと通常技で殴り合えるかなと思ってたよ。
オロも強いからね。
でも相手飛んできたんだよね。
で、J中Kブロッキングしようと思ったら・・・できなかったんだよね(笑)

そういや、起き上がりに「小足チェスト」ガード後って
「近中P」入らないんだっけ?

C:入らないですね。

A:最後は颪から正中だったね・・・

B:あれって確認できる?

C:余裕。

B:えー。颪は見えないよ。あの連携はきつすぎ。

A:大の颪だったよ。

B:それは見えますよ!

一同:(笑)

A:オロ使うようになってから「屈グラ」の癖がなくなってね。
それで大颪食らったねぇ。
チュンリーやってたときは「屈グラ」連打してたんだけど。

B:そういや、まことって「屈グラコパ + コパ」からの確認で正中できますよね。

C:リュウとかもできるっしょ。

A:チュンリーはできないんだよね。(コパコパSA2がつながらない)
気功掌(SA1)なら出来るんだけど。





A:まぁ・・・これくらいしか覚えてないよ。

B:一瞬でしたなぁ。

A:負けてすぐ座席キープしにいったんだよね。

C:二年連続あそこに座ってた気がしますね。

<完>

2017年5月 蛮哲珈琲

http://www.dianping.com/shop/18241898

場所は中華人民共和国福建省廈門市。

MAZZOはイタリア語で「花束」を意味する。
「蛮哲」は簡体字で「乱暴な知恵」を意味する。
繋がらない。ちょっとよくわからない。
2017年5月 けいはんな旅行
【4日目】
朝起きると私は奈良にいた。
最後の日だった。

案外人生最後の奈良なのかもしれない。
そういうのに浸るには人生が辛すぎた。

最終日は京都で夜まで時間を潰して
京都駅から都内へ戻るという予定だった。

実は今回の旅行で一番困ったのが
京都でどこに行くか決めるところだった。

あまり京都に興味を持ててなかったのだ。
何と言う贅沢。

以前、金閣や京都御所や嵐山に行ったことがあるので
その辺りに行きたいと思えなかった。

銀閣は遠そうだったのでやめた。
それにほとんど記憶にないが確か行ったことがあるはずだった。

比叡山は遠かったので辞めた。(滋賀県だし)

そんな感じで適当にチョイスされたのが
伏見稲荷大社であった。
定番である。


私はJR奈良駅から伏見稲荷駅まで行った。

感想としては
「人多すぎ」
「フルで歩くのは無理。ちょっとした山登り。」
「鳥居の道長すぎ」

・延々と続く鳥居で出来た道



これを作るエネルギーはどこから来たのだろうか。
非常にオタク的なものを感じた。

ふと京都はこういうノリが多い気がしてきた。
個人的な印象だが。
奈良の包容力とはまた違う味わいである。

既に午前の時点で体力に限界を感じていたので
キリの良いところで撤退した。



その後は京都駅まで戻った。
京都駅側のショッピングビル?で適当に飯を済ますと
「東寺」に向かった。

間違いなく一度も行ったことがなかったからだ。

東寺駅は京都駅の隣駅である。
移動リスク、迷うリスクが少なかろうと思うのもあった。

時間は既に13時はまわっていたと思う。

残りの体力には注意が必要だった。
しかしここで誤算にやられる。

東寺は広かった。
ちょっとした寺レベルではなかった。

普通に観光すると
2~3時間レベルの代物だった。

苦笑いせざるを得なかったが
力の限り歩き、学んだ。

桃山時代の大きな建築物などあり
その古さに痺れた。

・平安時代からの由緒正しき東寺。



その後は最後の予定を消化する。
京都の有名なゲームセンター「acho」に向かった。
これはただの記念訪問である。

achoは微妙な位置にあるなという印象だった。
京都駅から行きにくい。

まず地下鉄で烏丸駅まで行った。
地下通路を延々と1駅分歩いて河原町まで行った。

疲労により私はフラフラとしてきた。
行動や判断が徐々におかしくなり始めていた。

やがてachoについた。




・achoと3rd



とりあえず3rdをしよう、
ということでプレイしていたら乱入された。

フルラウンドまでもつれるものの
ギリギリで負けるのが3~4回続いた。
やっと勝ったら相手が去った。

そして私もまもなく去った。
ギルを倒しのか途中で捨てたのかはもう記憶が無い。

新幹線の時間までまだ余裕はあった。



この辺りで気が抜けてしまったらしい。
ここから失敗が続く。

まず地下通路を戻って烏丸まで行ったら
なぜか烏丸駅から別の電車に乗ってしまった。(たしか阪急)
1駅行ってから気がついた。

急いで戻った。
戻ってから「地下鉄」に乗り京都駅に着いた。

まだ時間は一時間程度余裕があったが
少々冷や汗をかいた。



その後、新幹線の改札の位置を確認してから
飯でも食おうと思っていたのだが
うっかり改札を通ってしまうという失敗をする。

駅員に「改札の通り抜けわからないですか?」と
気にされたらしく話しかけられたときに
適当に応対したら、つい通ってしまった。

新幹線の改札の中からホームまではかなり広いエリアだ。
ただし座れる飲食店などは見当たらなかった。

さて一時間もどうするのか。
仕方ないので駅弁を買ってチューハイを買った。

なぜ酒なのか。
私は酔うと時間が早く過ぎるように感じるからだ。
普段はほぼ飲まない。

そしてまたミスする。
何となく牛肉弁当を買ったのだが、
レジに持って行くと1200円くらいした。
(製品名は覚えてない。
会津かどこかの特性牛肉弁当だったか。)

それが経済的に大ダメージというわけではないが
自分のダメさにがっかりした。
「これはもう注意力・集中力が完全に死んでる」
そういうことだった。

それでも「アルコールで電車を乗り過ごす」ことは
考えられなかったので、
私は駅構内の某所に座り込んで弁当を食い酒を飲んだ。
御世辞にも行儀が良いとは言えない。

そうしてよくわからない時間が過ぎた。
案外こんなのがずっと記憶に残り続けたりする。

その後は特に書くことは無い。

新幹線に乗ると気が付いたら寝ていた。
起きたらもう遠州あたりだったと思う。

東京駅からはまっすぐ自宅に戻った。
その後、何を考え何をしたのか。全く記憶が無い。



次の日は足が辛すぎて一日中家に居た。

GWの後半はちょっとした用事があったので
それにリソースを割いた。

結果論だが、GW中は3rdをほぼ毎日やったことになった。

最終日は体力やマインドの回復に専念した。

7~8日に渡って楽器を触らなかったのだが
そういうのもたまには良かったと思う。



GWが終わり仕事を2~3日すると
もはや全てが遠い過去のことのように思われた。

ただし奈良に行けたことで
何かしら大きな荷物を降ろしてきて楽になれたのは感じていた。

「期せずして成功」というよりは
「私は運が良かった」と考えていた。
解釈がやや弱気な理由はわからなかった。

その後、東京は急に暑い日が続くようになった。

昼休み中に外出すると
日差しが強くなってきているのを感じた。

「夏までに何を為すことができるか。」
私は慎重に考えていた。



<<完>>
2017年5月 けいはんな旅行
【3日目】
朝起きると私はまだ奈良にいた。
当たり前だが。

朝起きた時点で
体力が70%強程度しか無いような有様だった。

そのため今後の行程は
無理しないことを強く確認した。



この日はまず、午前中に興福寺を見に行った。
かなりの混雑だった。
ここでも聞こえるのは日本語よりも
中国語や韓国語のほうが多かったようだ。
もはや日本全国の観光名所はこんな具合なんだろう。

興福寺は一部休館中だったものの色々見れた。
宝物殿?はパスした。
時間と体力を考えてだ。



その後、近鉄で数駅移動。
薬師寺、唐招提寺を見に行った。

この二か所には昔行ったことがあるのかもしれない。
一切記憶が無かった。

奈良の小中学校でここに行かすイベントが無かったとは思えないので、
一度くらいはあったんじゃないかと思う。

薬師寺は新しく鮮やかな建物が見られた。
鋭意復旧中なのだと思う。

「昔あったとされるものを現代に作っても」
という向きもあるかもしれないが、
私としては昔っぽいものを現代の技術で建てるのは良いと思う。
逆によくわからない跡地を見せられるほうが退屈だからだ。


・薬師寺の大講堂



唐招提寺は良い感じだった。
あんな環境に住めたら心が綺麗になりそうだった。
周辺も以下にも奈良っぽく好ましかった。

私は子供の頃から鑑真和上を大変尊敬していた。
今回、上人の廟をお参りで来たのは大変満足した。

なお教科書でよく見かけた(と思う)鑑真和上像は
年に数回しか見ることができないらしい。

ただし、いつも参拝者がお祈りできるように
コピーがある。(言い方が悪いか)

それにしても良い寺だった。
純和風の一軒家に住み、広い庭を愛でたい。
そんな妄想を最近はする。


・清潔で枯れた風景



その後は私は時計を気にしつつ
近鉄で西大寺→生駒→本町方面へと移動した。

生駒から地下鉄中央線に直通する。
昔はこれは無かった気がする。

私は途中、東大阪市のある駅で降りた。
近辺を探索して写真を数枚撮った。

この地域には少しだけ縁があった。
私が奈良を去った後に
実家が(わずか数年だが)ここだった時期があるからだ。
西条から東大阪に帰省したことも何度かあった。


・東大阪市から見る生駒山地。
この山地が奈良との県境となっている。
なお山頂にはそれなりの遊園地がある。
少年少女時代に奈良に住んでてそこに行ったことが無い人はおそらくいない。



他に話題も無いので割愛する。

さて、一時間もしないうちに私は駅に戻り
地下鉄中央線に乗った。

私は梅田に向かっていた。

蛮哲メンバーX(仮称)と「monte50」で
待ち合わせしていたからである。

梅田駅で降りて気がついたのは
東梅田駅のほうが「monte50」に近そうだということ。

そして、私がかつて行ったことがある「モンテカルロ」は
「monte50」と異なるということだった。

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※ちょっと調べてみた。
私が知っているのは「純情モンテカルロ」という店だったようだ。
2014/6/25に閉店していた。
「monte50」に統合されたという発展的閉店だったようだ。

情報はこちら
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そもそも私の記憶では「なんば」にあったはずだったのだが
これは私の記憶が壊れてるだけであり事実とは異なっていた。

さて、私はあまり道に迷うタイプではないのだが
今回は結構迷った。

かなり真剣に地図とにらめっこした。
やがて店につくことができた。


・monte50の前



時計を見ると17:00くらいだった。
予定通りだった。

私の足は今日もほとんどダメになりつつあったが
頑張って階段を昇った。

何階に3rdがあるのか全くわからなかったので苦心した。
どこの階にもありそうでない。
あの無秩序さは何なのだろうか。

4階くらいまで行ってついに3rdを見つけた。

対戦台は3台くらいあった気がする。
既に記憶があやしい。

まだXさんは来てないのだろうか?と思いつつ
対戦台の向こう側を覗いた。

するとXさんが居た。
15年ぶりくらいだったが私はすぐにわかった。

これには理由がある。
実は一年ほど前にOJAがXさんに会ったことがあり
その時に撮ったという写真をチラ見していたからだ。

そこから一時間半ほど対戦を続けた。
Xさんは相変わらずリュウだった。


・Xさんのリュウ



Xさんのプレイは昔とはかなり違っていた。
まず電刃を使うことがあったし、
コアコアSAを使えるようになっていた。
全般的にも以前よりずっと洗練されていた。

話を聞くと大阪に住むようになった後も
ゲーセン通いはずっと続けていたそうだ。
長年モンテでひたすらボコられる日々を経験した苦笑いしていた。

私は、Xさんがアレックスの「中スラッシュエルボー →
キャンセル → スタンガンヘッドバット」
のかわし方を知らないことに私は途中で気がついたりしていた。



その後は、GRさん(ゴールドリバーさん)の店で
乾杯ということになった。

「そもそも当時ほとんど話ししたことないよね」
とXさんは何度か口にした。

確かにそうだった。
最早お互い中年なので適当にくっちゃべることができた。
約15年ぶりだったが、感覚的には7年ぶりくらいに感じた。

私は最近はほとんど飲まなくなったが
Xさんも同様だった。

途中で先日お世話になったおっぺけさんが店に来てくれた。
さらに数人で色々な話をした。

終電に余裕があるうちに撤退した。

帰りは初めてのルートだったので少し不安に思っていたのだが、
おっぺけさんが途中まで同行してくれたので
スムーズにJR奈良駅まで戻ることができた。

三条通りに付くと23時過ぎだったと思う。
CUEは閉店直前だった。
流石に寄らなかった。

こうして三日目が終わった。
人に会う用事は全て終わったので気が抜けたところがあった。
2017年5月 けいはんな旅行
【2日目 夕方~夜】
■奈良ファミリー

当日は西大寺駅近くにも寄っている。
というか駅から徒歩でキャノンに行ったから当たり前だが。

当時は西大寺駅と言えば普通は「奈良ファミリー」に行くため、だった。
「奈良ファミリー」は中規模百貨店である。
現在は「Nara Family Zoro」という名前になっていた。


・Nara Family Zoroの雄姿

90年代に高の原に住んでいた人は
大きな買い物で百貨店的なものへ行く、となれば
この奈良ファミリーに来るのが常識だったと思う。

当時の中身はジャスコだった気がするのだが
今はイオンと近鉄百貨店と何かの連合体となっていた。

今でも充分に役割は果たしていると思うのだが、
高の原のイオンがあまりにも巨大すぎた。

高の原の人間がこちらに買い物にくることは
最早無くなっただろうと推測している。

さて、私は疲れていた。
そして懐かしさもあり奈良ファミリーに侵入した。
そして脳が欲するままにパフェを注文し咀嚼した。


・名前を覚えれなかったパフェ



なお、この奈良ファミリーの前の川があった。
その対岸には中古のファミコンショップ屋が当時はあった。
私はそこで良く売買していた。
現在は無くなっていた。


・奈良ファミリー前の川。
記憶と全く一致しなかった。
もっと水量が多く護岸が整備されてなかった気がする。
西条の黒瀬川と記憶が入れ替わった?



■押熊交差点

さて高の原地元トークといえば「押熊」の話も出ると思う。
郊外で中型の各種ショッピングセンターの集まってる場所がある。
ここも一応見てきた。

「若干寂れた感あるが役割は引き続き果たしてそう」
という感じだった。
個人的には懐かしかったが、特にめぼしい話は無いので割愛する。



■非トラウマ旅行

・・・以上、こうして高の原や界隈を延々と探索した私だったが、
意外にも「トラウマ感」がなかった。

旅行に来る前は一大トラウマ旅行になると確信していたのだが
全くそんなことはなかった。

この理由ついてはまだ答えが見つかってない。
自分のことはまだまだわからないものだ。



■奈良、三条通り

時間は夕方となっていた。
私は近鉄奈良駅→三条通りと戻ってきた。
二日目にしてマイホーム感がった。薄く笑った。

この日は既に4~5時間は歩いていた。
昨日の疲れも残っており、とにかく足が厳しかった。

例えば旅行1~2週間前から池袋~高田馬場~新宿辺りを
歩きこんで慣らしておくべきだったと後悔しきりだった。

途中、三条通りで柿の葉寿司を買った。
奈良っぽいものを食べたのはこれ一個である。

私は90年代に柿の葉寿司の存在を知らなかった。
奈良っぽい食べ物は奈良漬しか無いと思っていた。


・三条通り沿いにある柿の葉寿司屋



ホテルに戻るとユニットバスに湯を貯めた。
長時間入って足を休めた。
その後はしばらくベッド上で気絶していた。

夜はQUEに行った。

翌日に蛮哲メンバーと対戦することになっていたし
時間潰しが必要だったからだ。

ホテルでスマホしていたら自宅に居るのと変わらない。
それは流石にくだらなかった。

何かを考えながらCOM戦をしていると
前日も対戦してくれたある方が来てくれた。
明日は休みということだった

そこから一時間くらい対戦。
ここでもボコられる。
(対戦ありがとうございました)

その後はちょっと飯+話でも、となった。
そのまま日付変更近くまで店を変えつつ3rd話が続いた。
これはかなり濃い内容となった。

二日目も3rdがっつり締めとなるとは思ってなかった。
充実の二日間であった。

ホテルに戻ると充電関係に留意しつつすぐに寝た。
2017年5月 けいはんな旅行
【2日目 午前~夕方】
■二日目

充分な睡眠を取って起きると・・・私は奈良に居た。
当たり前だが。

三条通りを歩く。

本当に20年ぶりなのだろうか。
奈良の空気があまりに自分に合いすぎていた。

私の祖先はずっと四国で生きてきた人ばかりだったので
私の遺伝子的には完全に四国が合うはずだった。

しかしその日は奈良のほうが合っているように感じた。
少年時代育った場所というのはそういうものなのだろうか。

そんなどうでもいい事を考えながら歩いていると
近鉄奈良駅に到着した。


・20年前からある行基上人像。



その後電車で「けいはんな学研都市」の街、
「高の原」まで移動する。



■高の原、ニュータウン

「高の原」は駅名であり地名ではないが、
基本的に地元民はこの名前でこの地域を呼んでいた。
今は知らない。

実際の地名で言うと
奈良市「右京、朱雀、左京、神功」などとなっている。
妙に品がある。

これはニュータウンなのでカッコ良い地名が後付けされたというだけだった。
そういうのは関東でもよく見られる。

高の原は当時から完成されたベッドタウンであった。
今はより完成度が増しているようだ。

昔あった空き地が全く見当たらない。
空き地には必ずと言っていいほどセイタカワダチソウが見られた。
あれは毒々しい黄色だった。


高の原で20年前と非常に大きく違っている点が一つあった。
壮大な「イオン」の存在である。
これは私がこの土地を離れ、私の家族がこの土地を離れた後にできた。
(となるとおそらく2000年あたりと思われる)


・イオン。画像奥の方で壁のように見えるところもである。もはや城郭である。中には映画館などもあるらしい。



私はかつて10年間この街で暮らした。
この日は20年ぶりに4~5時間かけてこの界隈を歩いた。

当然、色々なことを考えた。
そりゃもう考えた。
考えても意味のないことを。
具体的に何がどうとかではなく。
(そしてそれは自分にとってとてつもなく大きかったことを5月中旬の今実感している。)

ただそれをここで書くのは非常に個人的なブログ等が適切であろうから
ここでは大幅に割愛する。

ただし格ゲーに関することだけは筆を滑らしておこう。



■小学校高学年頃


昔アーケードゲームがあったショッピングセンターの入口。
当時は名前すら知らなかった。こういう名前らしい。



このショッピングセンターはミニアーケード街的なものだった。
現在はシャッター街である。
この画像の左上、右下の二か所の店でアーケード筐体が置いてあった。



ここで私はアーケードゲームをしばしばやっていた。
小4~小5頃の話である。
左上の店は駄菓子屋だったんじゃないかと思う。
記憶がはっきりしない。
主にカプコンのゲームがいつも置いてあった。
「ファイナルファイト」や「ロストワールド」や「忍者流剣伝」などがあった記憶が残る。

「ロストワールド」は斬新なゲームだった。
今でもやってみたい気がする。

「スト1」もあった。
波動拳を数回打つだけでで勝つゲームだったのは覚えている。
私は一回やってみて波動拳が全くでないのでそれで辞めた。

当時の小中学生はほとんどがクリアしていたような気がする。

最後のボスはサガットだったと思う。
彼も飛び道具を撃ってくるので波動拳と撃ちあいになったはずだ。

さて、右下にあった店はSTGが多かった気がする。
右下の店は本屋だったはずだ。
本屋だけどアーケード筐体が置いてあったのだ。

激難易度で知られる「イメージファイト」などあった記憶がある。
「原始島」などもあったと思う。

私は「原始島」がかなり好きだった。
比較的長時間プレイできる点が良かった。

そういえば「R-TYPE」もあった。
これを外してはいけなかった。
あれも比較的長時間プレイできるゲームだった。
音楽もビジュアルも当時は驚異的なゲームだった。

「ダブルドラゴン」や「くにお君のドッジボール」とかもあった気がするがどうだろう。

さて、小6くらいの頃になるとアーケードはほぼ全く行かなくなっていたと思う。
ここの理由ははっきりしない。
FCのくにお君シリーズばかりやっていたせいかもしれない。



■中学生頃

時間は中2に飛ぶ。

というのは、中1の頃は運動部だったので忙しかったと
FCの信長の野望(KOEI)とその資料(武将ファイルという書籍)に
ひたすら夢中になっていた記憶がある。

このため私は戦国時代は割と詳しいほうだと思う。
しかしあれから戦国ブームが何度も訪れた。
今ではみんな詳しくなってしまったので迂闊なことは言わないほうがいい。

格ゲーをやるようになったのは
中2の頃のSFCでスト2が発売(1992年6月10日)されたことに端を発す。
これを人の家でやらせてもらうようになったのが最初のはずである。

当時このゲームをやってない人は居たのだろうか?
運動部だろうがなんだろうがクラスの男子ほぼ全員がプレイ経験があったと思う。
ドラクエ3、4状態である。

実はこの記事を書くまではSFCで出たのが「スト2ダッシュ」だと思っていた。
実際は無印だったようで事実と異なる。
全く記憶が当てにならない。

私はSFCは持ってなかった。
しかしスト2には大いに衝撃を受けた。
必殺技を出すだけで楽しかった。

たまに友人の家でやらせてもらうのが楽しかった。
(今考えるとかなり迷惑な人間だったと思うが)

そういうことで、
スト2やりたさに再びアーケードに行くようになった。


・高の原アローファイブ(Arrow 5)跡地。現在はタコ焼き屋さんになっていた。

アロー(通称)はレンタルビデオ・CD屋だった。
しかし店内にアーケード筐体が5~7台常時置いてあった。
カプコンとSNKが半々くらいだった。

アーケードは私が高の原を去る1999年時点で置いてなかった気がする。
その後店自体も無くなったと考えられる。

私はこの店に滅茶苦茶居た。
時期にもよるが一番居た頃は同じ中学の友人と友人と週3か週4は居たと思う。

当然店長にも顔を覚えられていた。
というか両替は店員にしてもらうしかなかったと思う。

当時あったのは「スト2ダッシュ」だと確信している。
なぜならバルログ等四天王が選べたし、ターボでなかったからだ。

調べてみるとダッシュの稼働は「1992年4月」かららしい。
SFCのスト2が出る以前にアーケードでダッシュは出ているのだ。
この記憶は問題はなさそうだ。

当時のダッシュはCPUが強かった。
なかなか長時間のプレイはできなかった。
これは中学生には厳しかった。

まもなくSNKの飢狼伝説2が出た。
調べてみると「1992年12月」だった。

100メガショック第2弾ということだった。
久しぶりにこの懐かしいフレーズを聞いた。
当時はゲームのソフトウェア的な容量が100メガでも驚異的なことだった。
平成生まれの人からするとギャグにしか思えないだろうが。

こちらは長時間プレイしやすかった。

同世代ならわかると思うが
アンディーの残影拳からの屈大Kのループがあまりにも強力すぎた(笑)
運が良ければあれだけでクリアできるときもあった。

そして隠しコマンドで「超必殺技」があった。
これはとてつもなく斬新だった。
カプコンにも逆輸入された(と思う)

キャラクターもとても格好よかった。
3rdに通じるようなカジュアルハードボイルド?っぽさがあった。
私や周囲は夢中になった。
ちょっとテクい友人がダックキングをひたすらやりこんでいたのを思い出す。

音楽が良かったのもの付け加えておきたい。
テリーステージの音楽を聴くだけで当時の気持ちに戻ってしまいそうである。

あと時系列がちょっとはっきりしないが
SNKからは「飢狼伝説」「龍虎の拳1、2」
「ワールドヒーローズ2」「侍スピリッツ」など次々と魅力的な作品が出ている。
どれもCOM戦だけでも面白かった。
新作が出る度に私や周囲は夢中になった。

そうこうしているうちに、私はCOMが強すぎるカプコンゲーからあっさりと離れた。
グラフィックはカプコンのほうが圧倒的だなと思っていたけども。

ヴァンパイアシリーズは未だに1コインすらやったことがない。
蛮哲ではおそらく私だけだろう。

ちなみに地元に対戦台はなかった。
やるとしたら西大寺キャノンショットまで行くしかなかった。

ここでキャノン(通称)ついて話しておきたい。


■西大寺キャノンショット

先に画像を何枚か置く。


・西大寺キャノンショット跡地。現在は貸スペース屋みたいなものになっているようだ。
西大寺駅からは徒歩5分程度だろうか。記憶より近かった。









・キャノンショット界隈。
通っていた人には懐かしすぎる画像をここに残しておきたい。
交差点の祠は残っている。曰くありげである。
歩道は相変わらず側溝にふたをしただけで不安感が残る。







・平城宮跡。
キャノンショットの道路を挟んで向かいのエリアは平城京の跡地である。
ここが1300年前くらいに日本の首都だったというから不思議だ。

90年代は草があまり無い平地が広大に広がっていた記憶がある。
注射器などが落ちているような危険地帯でもあった。
夜に近寄ることなど絶対に許されないエリアだった。

今はそれっぽい建物が建設中だったり資料館などもあるようだ。
観光地化を目指しているのか?



当時の私はそもそも対戦をやる金がなかった。
だからキャノンに行く必要は全然なかった。

ただ、日曜日にあまりに暇なときに
自転車で見学に行っていたようなことはあった。

西大寺までは近道を使っても自転車で30分以上はかかった。
2駅分の距離があった。
車ではわからない。15分くらいだろうか。

自転車の近道は結構滅茶苦茶だった。
「野生に近い森林の中を数十分かけて通り抜ける」
その後も「人の気配がほとんどないエリアを通り抜ける」
というPTAが絶対に許可しないルートであった。

しかし私や当時の仲間は夜ですらそこを使っていた。
当時はなぜあんなに命知らずだったのか。
自分でもよくわからない。


・「近道」を地図上に赤線で書いたもの。大体こんな感じであった。
地図の上端に「高の原駅」がある。
駅から少しでも北に行けば京都府である。
高の原界隈はニュータウンだけあってかなり整備されているのがわかる。

地図中央部の何もない地帯が「野生の森林」である。
その南側は見てわかるが複数の「古墳」がある。人家が少ない地帯である。

このように地図を見ると古墳が見えるのは
奈良の特徴であり関東の人には珍しいに違いない。



西大寺キャノンショットの対戦レベルは高かったと思う。
これは当時を知る人は皆証言するから間違いないだろう。

私の残ってる記憶ではスト2ターボである。
リュウケンでめくり小足アッパー昇竜拳みたいなコンボだけを
延々とやりあう対戦が続いていたのを覚えている。
絶対に入ってはいけないと思った記憶がある。

店内はガラは悪そうな人は多かったが
喧嘩や罵しり合いとかいきなり殴られるとかは見たことが無い。



中学受験が近付く頃になると
アーケードに近寄ることもなくなっていった。

私は中3になって急に成績が上がってくるタイプだったので
塾通いに手ごたえを感じたりしていた。
また、徐々に音楽に興味が移っていた。

さらに、周囲で「まだゲームとかやってんの?ダサいね。キモいね。」
というような風潮も出始めていた。
これも同世代ならわかるのではないだろうか。
今はそういうのがあるのかは知らない。

高校に入学した頃にはアーケードに一緒に行ったりしていた友人のほぼ全てと疎遠になった。
アーケードは「小中学校時代のやんちゃ」みたいなニュアンスを残して
徐々に私の記憶から消えて行った。
次に私の人生に表れるのはあの「西条」になる。

中学のときよく遊んでた友人一人は、
高校の頃もキャノンに通い詰めていたと聞いた。
「あいつに会いたければキャノンに行けばいい」みたいな話だった。
しかし彼も高校でアーケードは辞めたようだった。
元々サッカー部だったのもあり大学以後はそちらに集中するようになったように見えた。
今どこで何をしているか知らない。

私は高校の頃は家庭用でSFCのスーパースト2をよくやっていた。
といってもCPU相手のコンボ練習ばかりで
どちらかというと時間つぶしでありどうでもよかった。

ラジオを聴きながらついでにやってることが多かった記憶がある。
あるいは「CDTV」まで暇だから、とか。

何時頃かわからないが、ネオジオCDを中古で買ってきてKOF95をやったりしたこともあったが
一通りCOM戦をやって売り払ったようだ。
あまり記憶が無い。

この頃は西大寺ではなく大阪日本橋などに行くことが多かった。
片道一時間もかからないくらいだ。

以前どこかでその辺りの時期のことを色々書いた気もするが今回は割愛したい。
高校の頃ならばむしろPCゲーに衝撃を受けた気がする。



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※キャノンショットの情報をここに残す。

キャノンショット 西大寺店
住所:奈良県奈良市二条町2-4-14

・1995年頃はスト2系やゼロ系の対戦台が4台くらいあったと思う。

・2006/11/29頃リニューアルオープンしている。
この頃、カラオケ・ビリヤードはなくなりアーケードゲームだけになった模様。

こちらに情報あり

・2010/6/30閉店した模様。

こちらに情報あり

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当時あの地域に住んでいた方がこの記事を読み、
何かしら懐かしく思うところあれば大変嬉しいと思う。
2017年4月 けいはんな旅行
【1日目】
■はじめに

奈良で育った全ての3rdプレイヤーの幸運をお祈りします。



■旅

旅に出るには理由があった。

一点目。
某蛮哲メンバーと約15ぶりに会うため。前回のクーペ時に会えれば良かったのだが
都合により叶わなかった。

二点目。
私が少年時代の約10年間を過ごした奈良北部の「けいはんな学研都市」を訪れるため。
(90年代当時は「関西文化学術研究都市」だったはず)
約20年ぶりとなる。

三点目。
せっかくGWだから旅行しようということである。
今まではこの時期は過剰な経費と混雑を嫌って家で何がしかに取り組むのが常であった。
しかしもうそんな歳でも無かろうということである。



■東京は朝の7:00

私は旅券+ホテルセットの某旅行会社の商品を買っていた。
朝7時の新幹線を選んでいた。まともな時間だと追加料金が発生するからである。
(GWゆえに是非も無し)

前日は某国のミサイル実験により都内の地下鉄が遅れるということがあった。
一抹の不安が漂うが当日は特に問題は起きなかった。



■奈良・三条通り

JR東京駅→JR京都駅→JR奈良駅と順調に行った。

ただし体調はいきなり悪化した。風邪の諸症状に口内炎に悩まされた。

連休の初日に体調が突然悪くなるのは体質であり諦めが必要だった。
熱さえなければどうとでもなるのだ。

さて、今回おそらく人生で初めて「JR」で京都から奈良に移動した。
新鮮で楽しかった。

20年前、私は近鉄京都線沿線に住んでいた。
だから基本的にJRに乗る必要が全くなかった。

近鉄(私鉄:近畿日本鉄道)は奈良の重要な地域をしっかり押さえていてしかも速かった。
線路幅が広く地震にも強かった。
私の中ではタフなイメージがある。

あの大震災の日。
近鉄奈良線は準急を稼動させていた。
恐るべきラッシュだった。
耐えてなんとか高校にたどり着いた。
すると休校だった。そんなことが思い出される。

JR奈良駅。かつて何度か訪れたことがあったのだが、
記憶と現実が一切マッチングしなかった。

ちなみにJR奈良駅と近鉄奈良駅があるのだが、
近鉄ほうが「観光エリア」に徒歩で20分くらい近い。
ここでも近鉄の優位が見られる。

JR奈良駅の前には「三条通り」という有名な観光系の大通りがある。
私はそこに侵入した。
するとまもなく奈良の3rdの聖地「CUE」が目に入った。


・三条通りは小春日和。


・悠然と聳え立つCUE


私はその側のホテルに三日宿泊する予定になっていた。
これは3rdを意識したわけでは全く無い。ただの偶然であった。



■春日大社・奈良公園・東大寺・国立博物館

ここで一つ問題に気付いた。
あまりにも奈良に早く着き過ぎたのでホテルにチェックインできないのだ。

荷物を持ったまま春日大社に向かった。
これがまずかった。

私の記憶と違っており、大社はかなり遠かった。
ゆえに私はいきなり疲れてしまった。

国宝級の春日大社が移動するわけはないので、
私の記憶が破損・変形しているということであり残念であった。

春日大社や奈良公園あたりを歩いてて気がついたのは、
中国人と韓国人の観光客だらけであるということだった。
まるで池袋にいるような気分であったが逆に抵抗感もなかった。

春日大社には昔何度か行ったことがある。
一度年始にも行ったはずだ。
真っ暗な中凄まじい行列だった。

しかしその記憶と現在の光景は全く繋がらなかった。
これでは初めて来たのと変わらないではないか。



春日大社のあとは奈良公園を通過し東大寺へ向かう。

奈良公園の感じは20年前と特に変わりはなかった。

鹿が観光客に大うけしているのを傍目に歩き続けた。
自身に結構疲労が見え始めていた。老化というより体力不足を感じた。



さて、私は鹿が可愛いと思ったことがないので
彼らの前で立ち止まることはない。

そもそも彼らは結構危険な野生生物である。
それも知っているからである。
(最近外国人観光客が被害を受けているとニュースで見た。さもありなんである。)

ただし最近作られたキャラクターであろう
「しかまろくん」はなかなか可愛い。

・奈良市観光協会のマスコット「しかまろくん」



東大寺には唸らされた。
二度言うが唸らされた。
昔何度も来ているのだが何もわかっちゃあいなかったようだ。

南大門の古めかしさ、運慶快慶の金剛力士像の迫力、
大仏殿の雄大さ、
そして・・・・大仏。

素晴らしく透明だった。

どれをとっても中年男の心に染みる一品であった。
この良さは若い頃に修学旅行で来てもわからない気がする。

ちなみに大仏さんは記憶より小さくなっていた。
関東で牛久大仏を見たせいだろうか。



東大寺のあとは国立博物館に寄った。
このあたりでもう足はかなりダメになっていて頻繁に喫茶店などで休んだりした。

特別展「快慶 日本人を魅了した仏のかたち」が実施されていたので大いに堪能した。
個人的な感想としては「あんた仏像作り過ぎだろ」だった。

仏像の中には何か物が入っていることがあるらしく
X線で見たら紙が入ってるとかそういうネタが興味深かった。
しかし概ね真面目なことが書いてあるようでそこは残念だった。



■CUE

その後はホテルにチェックインする。
ほとんど気絶するようにベッドに倒れ伏した。

念のため目覚ましをセットした。
一時間ほど意識を飛ばした。

起きると、私はある人物に連絡を入れた。
奈良の著名なネクロプレイヤーおっぺけ氏にである。
あらかじめCUEで会う約束をしていたのである。

私はホテルを出るとCUEに入った。
想像以上にでかいゲーセンであった。
おそらく奈良で一番大きいだろう。

格ゲーのフロアには鉄拳の技表などの本も常備されており
かなり店のやる気を感じさせられた。


・QUE構内


・3rdの対戦台は1台である


さて、CUEだが90年代にはなかった気がする。
おっぺけ氏に確認するとやはりそうらしい。

90年代頃は奈良のゲーセンの聖地といえば
「西大寺キャノンショット」であった。
(後日編で触れる。)

私がCUEの4階(多分)に行くと
おっぺけ氏は「アルゴスの戦士」をプレイしていた。
私はファミコンでやったことがあるが、実はアーケードでもあったらしい。

しばらく二人で対戦しているとプレイヤーが増えてきた。
おっぺけ氏が奈良のプレイヤーを集めてくれたようである。
これにはGWのため奈良に帰省していた方も含む。

かなりボコられた記憶が残っている。
(奈良のプレイヤーの皆様ありがとうございました)


その後は3名ほどで近辺で飲み会となった。
3rd話や3rd世界話など尽きることがない。
気がつくと日付変更。

しかしQUEの前がホテルがあるという幸運のため、
特に予定には問題無かった。

奈良の夜はまだ寒かった。
上着を持ってきたのは正解だった。
2017年1月某日 クーペ・ザ・バンテツ
The蛮哲。0勝2敗。
新橋。高級焼鳥屋。

メンバーのスマホでtwitchの決勝トーナメントを視聴。
生ビールが美味い。

「・・・うーわやっぱ○○○はすごいわ」
「うん。完ぺきだ」
「レベル高すぎだっつーの」

「しかし来年は1勝したい」
「(いつのまにか記念参加じゃなくなってる)」
「練習不足以前にキャラがさ」
「全チームトップクラスでキャラが弱いっしょうち」
「キャラ替え」
「誰が」
「・・・」

「えあすとは色々使えたはず」
「彼のユンとか強いってね」
「そうそう」
「(でもいないし)」

「よし俺来年ヒューゴー使うわ」
「(いや欲しいのは強キャラ)」

「お、つくねが来た」
「すげえ美味いねこの店」
「前ここ来て美味かったんで今日はここにしたんですよ」
「生いるひとー」
2017年1月某日 2017プレクーペレーションカップ

第15回クーペレーションカップ
2017年のプレクーペとクーペが終わった。

何かポエミーなことが書けるかなと思ったが
歳のせいか出てこない。

以下、面白味の無い文章を記す。


■プレクーペ

プレクーペはネクロ村の計らいでチームを組ませて頂いて出場。
関係者(いうなれば村民諸兄?)には感謝しきりである。

チームとしては一次予選を二位通過しプレーオフAで激戦を繰り広げる熱い展開になった。
チーム代表のプレイヤー力や恐るべしで、
あの全一リュウを追い詰めるがあと少し届かなかった。

個人としては全く振るわず。
今後の糧としたい。

他のネクロチームだが、「白蛇」チームが決勝トーナメント行きの快挙を成し遂げている。
二次予選で某氏が強豪オロを次々と倒していく様には歓声を上げるしかなかった。

プレクーペ後は恒例と言われている「ネクロ村飲み会」があり参加。
大変クオリティの高い内容で大いに楽しませて頂いた。
同じ居酒屋でヒューゴ飲み会や春飲み会、
あるいは他の飲み会も実施されていたらしく知った顔がちらほら見られた。

なおOJAもプレクーペにユン5で参加していた。色々あったようだ。


■クーペ本戦

2017年1月8日。
「The蛮哲」は表舞台で無事復活した。

多分この地点に来るまで色々大変だったはずだし
この日も色々大変だったはずなのだが
あまり脳が認識できてない。

結果は0勝2敗。
今回は残念。

しかし2試合の中で我々なりのドラマが確かにあった。
これは貴重な経験だった。
他では体験できないものだった。

誰がどういう仕事をしないといけないのか。
その人はどういう状況なら得意なのか。
格ゲーを真剣に考えることは仕事や人間を理解することに通じてそうだ。

とまれ我々は「五カ年計画」のもとに動いている。
これはただの始まりにすぎない。


■後夜祭

私とメンバー数名は「後夜祭」に参加している。


■その他

・後夜祭の途中、私は体力と精神力の限界を感じつつあった。
といっても私はこの3日間、イベントに参加して普段通り自宅で風呂入って寝てるだけであったのだが。
それでも疲れ切っていた。
足の筋肉痛もなかなかにきつい。

運営の方々の疲労は常軌を逸したレベルに達していると思う。
それでも後夜祭を成立させるど根性とサービス精神。
本当に頭が下がる。尊敬と感謝。

・クーペのパンフは二つ購入した。
一つは見る用。一つは保存用のために買った感じ。

メンバー「布教用は買わないんですか?」

・・・そんなジョークあるのか。

・クーペの最中に有名プレイヤーに声かけされる。
 何と今「例の地域」に関わりがあるということだった。
 世界は恐ろしい。
2016年12月某日 The蛮哲オフ 3rdでアキバで某所。って言えばあそこしかないと思うが。

管理人「今回のクーペにムナカタさん出てますよ。」

メンバー「ムナカタってあのダッドリーの?」

管理人「いやオロです。」

メンバー「いやダッドリー使いだったはず。」

(・・・15年くらい前から情報が更新されてないメンバーがいた。)


管理人「トゥエルヴでは地球さんとかも出ますね。」

メンバー「地球ってアナカリスじゃなかったっけ?」

(・・・20年くらい前から情報が更新されてないメンバーがいた。というかゲーム違う。)

その後、メンバーが「当時はKRDってのがいてなぁ」とまた昔話で盛り上がった。


ボチボチな仕上がりを見せ連勝を重ねるメンバー。


2016年11月某日 ポルトガル ポルトガル語のブログの記事で当サイトの幻影陣のネタが紹介されていました。
詳しいことはわかりません。ポルトガル語なだけに。

これはブラジルの人かな?と思いました。
本場ポルトガルよりはありそうな気がしました。

http://coilfgs.wordpress.com/category/players/oja-the-bantetsu/
2016年11月某日 第15回クーペレーションカップ 「The蛮哲」名義でクーペのエントリーをしました。
5人とも15年ほど前に広島のアミパラここじゃ店で3rdを楽しんでいた人間です。

一年かけて何とかここまで持ってこれました。
後は当日問題無く参加できることを祈るのみです。

なお数人のメンバーはプレクーペにも参加する予定です。

誰一人やり込めてませんが最善を尽くし楽しみたいと思います。
2016年11月某日 高田馬場ミカド 先日ミカドでネクロ村民数名と集まって対戦しました。
当日対戦しに来た人はネクロばっかだな・・・と思ったに違いない。

ヒット確認の精度がある程度担保できてほっとしました。
2016年6月某日 西条トラウマ旅行
その3
(アミパラここじゃ店~
広島市内)  
アミパラここじゃはあまり変わってなかった。
・・・というとウソになる。



外面は変わってなかったのだが、店内はかなり変わっていた。
内装とか明るさとか。

フロアも広くなっていたような気がする。
トイレの位置も変わっていた。
階段も一つ増えていた。

昔アミパラでバイトしていたメンバーによると
かつては店内のスペースは制限して使われていたらしい。
パーティション駆使したりして。

今はその領域が解放されて使われていると思われた。
記憶より広くなっているのだ。

置いてあるゲームの数も多くなっていた。
大型なものから小型なものまで。



結構なゲームセンターじゃあないか。

客も大学生でなくてそこらの地元の人らが中心であった。
地域の重要なエンターテイメント施設といったところか。

さて、3rdの対戦台は・・・あった。



ネシカがあるだけだと思っていたがあった。
普通の対戦台があった。

・・・むしろなんであるのかという気もした。
スタッフに聞いてみたかった。


--


さて、当日はメンバーとの10先も実施した。
10先は拮抗したのでかなり長引いた。
二人ともアラフォー勢なのでとても脳に堪えた。
終わったあとはフラフラだった。

その後は他のメンバーも入り乱れて色々対戦を行った。
某メンバーが無双状態になってお手上げになった頃、
広島市内へ出発する時間が来る。

私は帰ろうとしたときにアンケート箱を発見したので
「蛮哲が10数年ぶりに来ました」的なことを投函しておいた。

特に意味は無かった。
なお特にリアクションも無かった。


--


その後は有料道路でさっと広島市内に戻った。
有料道路を使うとあっという間であった。

世の中金だと再確認。
そして中年は効果的に金を使うべきである。
もう今となっては時間は金より価値がある。

西条を去った。
生きているうちにこの街にもう一度来ることがあるのか?
それは正直全くわからない。

定年後とかならあるのかもしれない。
何人かのメンバーは
定年後は中四国に戻っているだろうから。


今回この土地に来てとても良かった。
それは間違いない。

どす黒いものの棚卸作業である。
荒療治ではあったが、絶対にやるべきことであった。
(この文章を見直している2016/11時点でもそう思う。)

西条は15年経って自分の脳の中で魔界となっていた地域であった。
だが実際に言ってみたらただの田舎町であった。

そんなものである。
学生時代のトラウマなどすべからくそんなものなのである。
おそらくもっと早めにやっておくべきことだったのだ。


--


広島市内についた後は
メンバーにゆかりのある場所を少し回ったりして
その後はレンタカーを返還。

メンバー1人を広島駅まで見送った後に
市内で飲み会を実施。

時間は既に19:00くらいになっていた。

あのとき広島駅から歩いて店まで行った。
結構歩いた。

着いた先は良質な居酒屋であった。
そこで何を話したかは私はあまり覚えてない。

メンバーの一人が延々と
何かを主張し続けるのを私は黙って聞いていた。

そのうち「一度話止めてくれないとこっちが話せねえよ」
と困っていた。
すると他のメンバーが私が吐きそうだと勘違いして
水を勧めてきたとかはあった。

あとメンバーが隣のテーブルに絡みだして
面倒くさいことするなよ・・・
こいつ中年になって酒乱の気が出てきたか・・・
と思った記憶も残っている。

なお「ハンターハンターを読んでない奴は人生を真面目にやる気がない」
という暴論を私が主張した記憶も蘇った。
別にそこまでコアなファンではないが
素晴らしい作品なのは疑い無い。


--


さて、二次会は謎の怪しげなバーに連行された。

頭がおかしくなって甲冑にひれ伏す某メンバー。



そこで何を話したか。
やはり記憶がない。

オシャレなカクテルを飲んだのは記憶している。
あとイェーガーマイスターを注文したような記憶もある。

私はこのドイツの酒を好む。
悪酔いしないからである。

その後、夜中の3時くらいまで何か話をしたのだろうと思われる。
そこで会合を終えた。

私は市内のホテルに泊まった。
他のメンバーは家なり実家なりに戻った(と思う)

そこまでで蛮哲のイベントとしては終わり。
・・・長すぎる1日であった。

この日あった様々なことを
忘れることは死んだ後でもないだろう。
良かったことも悪かったことも。
あの10数年前の暗黒の日々と同様に。


--


翌日、私は広島市内の観光をした。
広島城とお好み焼きと某美術館と某庭園に行った。

市電を一度も使わずに歩き倒した。
これにより市内の道を少し理解できた。

市内には私鉄が増えてるようだった。
あまりそういうイメージは無かったのだが、
広島も順調に発展していってるようだ。

私はガチガチに中四国のDNAを持つ者なので
この地域の発展を素直に喜びたい。

--

オチ:

この後二週間くらいトラウマみたいなもので苦しむハメになった。
やはり荒療治であった。

しばらくするとすっきりしたのだが
仕事が忙しい時だったので実被害が少々出てしまった。

トラウマ解除のご利用は計画的に行うべきである。

忙しい時に何年ぶりの何かとかご訪問とかの
イベントを持ってきてはダメである。




2016年6月某日 西条トラウマ旅行
その2
(けいすけ屋~
元下宿)  
西条駅から広島大学にかけての道中は、交通路の発展などを確認し楽しむことができた。

途中ちょっと迷って黒瀬川を超えたりもしたが。

そして一同は「けいすけ屋」に向かった。

「けいすけ屋」はあった。何も変わってなかった。

しかしここまで変わらないものなのだろうか。オーナーの意地を感じざるをえない。



話が横にそれるが、

けいすけ屋の近くにあるセブンが「日本一の売り上げを上げた」ことがあるとメンバーBは記憶している。

それくらい他に何もない地域なのである。

そしてあったとしてもけいすけ屋なのである。



15年経っていた。

15年とは例えばゴールドリバーさんのお子さんが立派な姿になるくらい長い時間なのであった。

しかし・・・けいすけ屋は大して変わってなかった。

メンバーB「店内の臭いすら変わってねえ(笑)」

このあたりでメンバーBのテンションが奇妙に上がり始める。何かが琴線に触れたらしい。


さて、注文である。

私はかつての名物「牛肉天丼」を注文する気満々だった。

それは体育会系の男の胃腸ですら破壊する恐るべき「兵器」として記憶の残っていた。

だがしかし、既にメニューから無くなっていた。

店員曰く3年ほど前に無くなったということだった。

残念だった。しかし「牛カツハヤシ丼」はあった。

当時それがあったか私は記憶してなかった。だがメンバーBはあったと確信を持って言う。

ということで私は「牛カツハヤシ丼」を選択した。



やはり食いきれなかった。ハヤシの中にミニカツが10数枚入っていてこれが胃に効く。

メンバーAは「トリレモン定食」を選択する。

名前は可愛らしいが騙されてはいけない。これが今回一番の破壊力を持っていた。

とにかく量が多い。多すぎだ。
謎の隠し味も気になった。オイスターソース?


メンバーBは「チキンタツタ定食」。量は多いがなんとかなった模様。これも昔あった気がする。


メンバーCは「鶏とキムチの炒め物」。こちらは割と普通だったようだ。ぱっと見キムチがあるように見えないが。


メンバーDは「うどん(定食?)」だった。

これは別に普通であり全く突っ込みようはなし。この店にそんなメニューがあったことが意外である。

店内はあまりにも変わってなかった。

多分置いてある漫画も変わってなかったのではないか。タイトルは思い出せないが思い切り古かった。

あまりにも変わってないので、メンバーは大満足だった。


※けいすけ屋の皆さん有難うございました。これからもがんばってください。
URL:http://tabelog.com/hiroshima/A3404/A340403/34003629/


その後は各自が昔住んでいたアパートを廻ろうということになった。

まずは私の住んでいるところに行った。

(このとき体験したボリューム全開のフラッシュバック現象によるトランスフォームド状態は
非常に精神的負荷の高いものであった。
この一連の旅行が終わったあと3週間精神的に不安定になるほどの威力だった。これは実話である。)


P(アパート仮称)は何も変わってなかった。何ヘクタールあるのかもわからん広大な農地を背景にそびえたっていた。

私を4年間保護したアパートはまだあった。

暖房が無いと凍死しそうだったことや、

テレホーダイが終わったあと朝焼けのなかコンビニ弁当を買いに行って寝た日々を思い出した。

くどいが15年経っていた。

壁とかは結構薄汚れていた。汚れつちまつた悲しみに。


車から降りて接近して写真撮るとかはなかった。

というかそうしようかなと一瞬思ったが

メンバーAは「我々があまりにも不審なので車をすばやく移動させるべきだ」というようなことを発言。

それは全くもって正しかった。危なかった。



次にOJAとメンバーBが住んでいたアパート群であるV(仮称)に移動した。

私も何度か行ったことがあった。

ほとんどここも変わってなかった。

結構な畑の中にアパート群が起立していた。

なぜか不審な外国籍にしか見えない人物がいて、なんとも言えない印象が残った。

ここでメンバーBの心中がどのようなものだったかはわからない。あまり騒ぎたててなかった気がするが。

なおその近くにヤマザキショップが昔あったので探すと、期待通り今もあって多くのメンバーが奇声をあげた。



この街ほんと変わらねえ。

東京が変わり過ぎなだけかもしれないが。

上記のヤマザキの近くの道路に大きくて頑丈そうな「気温計」(デジタル表示)が昔あったのだが、それが個人的に懐かしくて歓喜した。

この気温計は、冬になると0度以下を表示することがままあり強烈な印象を私に残している。

中国地方の盆地はとてもとても寒いのである。

暖房が無いと凍死もありえる。

「山陽」という言葉に騙されてはいけない。

我々は身をもって体験している。



その後はメンバーAが昔住んでいたアパート群に行く。

このアパート群J(仮称)は、昔から良い噂がなかった。

私もそれは記憶している。

大家が微妙でどうこうとかである。

メンバーAも随分嫌な思いをしたらしい。



メンバーAは普段は感情的になることはない。

蛮哲一冷静と言ってもいいかもしれない。

しかしこのアパート群に接近すると、動揺を隠せなくなっていた。

ブラックなつぶやきが漏れたりして他のメンバーを驚かせる。

なお、なぜかこのアパートだが塗装が変わっていて半分黄色半分ピンクみたいな無気味なことになっていた

その異様さがさらにメンバーの恐怖を煽った。

一行はその後「アミパラここじゃ店」へ向かった。

店の前の街道。大変懐かしかった。

その辺りもあまり変わってなかった。

私が原付を買ったバイク屋すら残っていた。

あの頃の店員のお兄さんもアラフィフだろうなぁと。

(なおその原付は私が西条を去る時にえあすとに安く売ったという逸話がある。)


アミパラここじゃ店の入口に近接した位置からのショット。
15年前とは違って入口が左に移動したことがわかる。


アミパラここじゃ店の隣にある八犬伝。

これもまだあった・・・
蛮哲メンバー1名が一般人と揉めてデキンになったことで知られる。

2016年6月某日 西条トラウマ旅行
その1
(計画~広島潜入~
西条プラザ)  
2016年6月11日。

蛮哲が再結集され新蛮哲となって以来、最も大規模な企画が実行に移された。

それが西条トラウマ旅行(仮称)である。

仕掛け人は私、管理人である。


具体的な中身は以下。

・蛮哲結成の地である「アミパラここじゃ店」(広島県東広島市西条町)を訪問する。

・蛮哲にとって伝説の店のうち二つ「紅蘭(文字あってるか不明)」「けいすけ屋」を確認する。

・我々が下宿していた界隈を確認する。

・その他、JR西条駅、西条プラザなど地域の要衝を確認する。



今回の旅は私にとって割と過酷だった。

まずこの二週間前に大阪行きをこなしたあと熱病にかかる。

それは二週間完治することはなかった。

その理由だが、仕事で毎晩帰宅22時越えどころかたまに日付変更越える有様だったからだ。
(実は初期に抗生物質を飲み忘れたというミスもあった。)

しかも一週間前にはミカドですずきと10先をこなすなど荒行もあった。


そんなこんなだったが、当日は朝五時に起き新幹線に無事乗ることができた。

体調はまずまずであり、これは天に感謝したいところであった。


皇都から「のぞみ」で安芸まで4時間。長旅である。

福山から広島に行くときのトンネルが長すぎて記憶と一致しないことに違和感を感じたが、

私は無事広島駅に降りることができた。

ほぼ15年ぶりである。

そしてまず駅のトイレに行く。(なぜか最近地方旅行するといつもこう。マーキング?)


さて、広島駅で予定通りメンバーが集合することができた。

一同はメンバーA氏の適切な手配でレンタカーのバンに乗り込む。

満を持して因縁の地「西条」(東広島市は通例この名で呼ばれる)に向かった。

途中15年ぶりに作りかけのバイパス道路の「ハメ」に悩まされたりしたものの

徐々には西条(げんば)に近づいていく。


車は二号線を一路西条駅方面に向かっていた。

やがてメンバーBに異変が見られ始める。

「黒い。黒い。この辺りは黒いわー。」と意味のわからないことを言い始める。

自分にとって黒い想い出があるとかそういう意味なのだと思われた。


だが他人事ではなかった。

二号線の歩道橋に「東広島市西条町寺家」の文字を見た時だった。





脳が強く痛み、意識が飛んだ。

「大学二年の頃、私は色々腐っていた。
自宅から原付で西条プラザまで行ってはパカパカパッションをやり、
早く大阪に戻って再起したいとひたすら願っていた。」

そんなことを思い出したのだった。

ちなみにこのトラウマはかなり重いので、
パカパカ初代の曲を聴くだけで私はうめき声をあげる体になっている。特にSunがやばい。



--

さて、我々は黒い黒いと言いながら移動を続けた。


紅蘭は・・・無かった。

しかしこの情報は一部のメンバーは掴んでいた。驚きは無い。

跡地は自然派食品の販売?食堂?のような感じになっていた。

誰がやってるかはわからない。

「あの店に行って聞いてみないか?」とわけのわからないことをメンバーが言いだしたので焦ったが

そもそもシャッターが閉まっており、物理的にできなかった。



西条プラザは・・・なんとまだ営業していた。

これは驚きだった。

ゲームセンターコーナーはとっくの昔に終わっていた。それは知っていたしここの日記でも書いた。

しかしまだ本体はやっていたのだ。

かくして我々は西条プラザに最後のキッスをする機会を得たのである。

感謝しきりである。

そして、一つ残念なことがあった。

「誰 も 何 も 物 を 買 わ な か っ た」のである。

後で気がついた。

自分の気の回らなさ無さにガックリしたが、他のメンバーはケタケタ笑って終わらせた。内心引いた。


※以下は西条プラザの晩期の貴重な写真群である。


駐車場。

フロア案内図。

閉店セールお知らせ。

喫煙所。一部メンバーが利用したことがあるらしい。

二階中央付近。私は一切記憶が無かった。

本体からゲームセンターに抜ける通路。

外からゲームセンターにいける階段。下に原付を止めて何度も昇った階段である。

ゲームセンター前の遊技場。誰かが遊んでいるのを見た記憶が無い・・・

西条プラザゲームセンターの跡地。今は絨毯が見えるだけである。

ゲームセンター前の遊技場。

ゲームセンターのある二階から下を見下ろした画像。

1階中央の広場的なところ。大学入学直後に雑貨を買いに西条プラザに来てここで休んだ記憶がある。私にとっては一つの象徴的な場所である。

一階の食品売り場である。

※西条プラザ様へ
今までお疲れ様でした。有難うございました。


2016年6月某日 蛮哲内10先 その2 蛮哲メンバーのすずきさんと高田馬場ミカドで10先やる。
日曜昼間からダラダラと。
かなりダメな中年二人。

10先について。
すずきさんがキャンセル技出ないところを容赦なく攻撃していき管理人が優勢で決着。
オロの屈中Pに合わせてネクロアッパー→遠立大Pを当てるなどなかなか良かった。

ミカドのレトロゲームの多さに驚くすずきさん。

その後は、なぜかびっくりドンキーに行き酒を飲むと言う意味不明な方向に。

ダラダラと近況など話す。ゲラゲラ、ヒッヒッヒと笑ったりする。かなりダメである。
      
自分は夕方頃馬場を脱出。大阪行き以来体調が終わってたのと月曜から仕事も終わってるの確定だったので暴走ができなかった。

でもすずきさんは馬場の夜に消えて行った。またデキンの店が増えたのかもしれない。

ちなみに対戦したのは15年ぶりくらいだった。
2016年6月某日 近鉄の車内の広さは
やっぱりすごい
(大阪ゲレオフ編)
10数年ぶり大阪。
私が20代前半のとき、親が東大阪に一時的に住んでいたのだ。たまに帰ることがあった。あれが最後だと思う。

久しぶりに大阪に来て思ったのは、こんなに人が少ない街だったのか・・・である。
建物の立派さと行きかう人のバランスに違和感。

まあ要するに東京に慣れすぎたのだと思う。

新大阪から御堂筋線と懐かしい経路を通る。その後谷町線。

谷町四丁目につくと雨がぱらついていた。

ここで高校の同級生に10年ぶりに会う。

あーだとかこーだと実にオッサン臭い話を消化して再見を約束する。

(やっぱり誰も幸せになれなかったのかもしれない・・・)

そんな中年B級邦画っぽいことを考えながらさらに谷町線に乗る。

なんば「Gパラ」の前に到着する。

そこでゲレオフに合流。

ここで十数年ぶりにある蛮哲メンバーとも会う。

さっそく皆で対戦する。

SA3発動中まことに最速投げしたらスカるのを知らなかった・・・

久しぶりの人もいたし、一方的にこっちだけ知っている人と会って対戦することができたのである。

その後は移動して打ち上げがあり、さらに某所で対戦したりすることができた。

そして、いい歳こいてタコ部屋状態で寝るのであった。

奇妙な時間でとても面白かった。

※当日お世話になった皆様、有難う御座いました。



翌日は天王寺区にある出身高に行ってみた。色々考えさせられた。

写真など撮って、まだ連絡を取ることができる同窓生二人に連絡した。

その後、体調が急速に悪化する中、新大阪駅。新幹線に滑り込む。

東京に戻ると熱が38.6度を記録。

ずっと仕事が多忙なままで金曜時点で微妙だったのでまあ仕方ない的な。
2016年5月某日 蛮哲内10先
昨日はOJAと10先3回を実施した。
(結果はページ「蛮哲内10先記録」を作ったのでサイトtopから行けます)

最後にまともに対戦したのが私が22歳のときだと思うので、15年ぶりくらいであった。

その後、船橋ファンファンに行ったら、著名プレイヤーが数人いた。OJA大苦戦。



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