The蛮哲史

・15年以上経った今になってメンバーに当時のことを聞いたりしてまとめたものです。鋭意編纂中のため乱れあり。
・2015年より前を「旧蛮哲」、2015年以降を「新蛮哲」としてます。

[メモ]
【2017年の更新】
●誤植など修正。あとファンタジスタの3rd大会の「詳細はこちら」のリンクが何も貼られてなかったため修正。(当時の資料です)
●スキルスミスビデオの件の内容を修正(赤字)
●「すずき関東に戻った後」の話追記。(赤字)
●第一回全国大会の順位をアバウトに思い出した人がいたので一応記載。(赤字部分)
●15年ぶりにあったメンバーが覚えてたことを若干追記。(赤字部分)
●OJAの日記(旧コンテンツ近況報告)からダイジェスト的に色々追加しました。
2004年頃の第4回九州大会、ジスタ、第4回クーペなど。

●クーペ後の飲み会で出た話+旧蛮哲の近況報告を読みなおして内容ものすごく追記しました。
・九州大会第一回、第二回について追記。
・闘劇予選の「第一回」「第二回」、闘劇本戦の「第一回」について追記。
・クーペ第三回について追記。
・2004/3月頃 鳥取遠征の話追記。




[1998年以前] [1999年] [2000年] [2001年] [2002年] [2003年] [その後]


1998年以前 [平成9年以前]
テキスト


聖地「アミパラここじゃ店」。2016年現在も3rdの対戦台がある。
2000年頃、夜に顔を出すと必ずメンバーの誰かが3rdをやっていた。

■蛮哲前夜における メンバー数人の紹介

OJA
【西条に来た時期】1997年春。
【ここじゃに来た時期】西条に来てすぐ。
【格ゲー歴その他】高校時代からやりこみ勢だった。
しかしここじゃのレベルの低さには失望したためストZERO3(1998/7発売)の大会は岡山は倉敷で参加するなどしていたという。
セイヴァー(1997/5/28発売)に関しては面白くないと感じていた。理由はフォボスが居なかったから。
なおOJAは西条時代にゲーセンでバイトしていた。店はプラボ東広島(2011/3/21閉店)。ナムコ系の店だったらしい。

・管理人
【西条に来た時期】1997年春。
【ここじゃに来た時期】1997年春、しばらくおらず。1999年春からまた現れた感じ。
【格ゲー歴その他】管理人とOJAは同学年同学部であり1997年から知り合いではあった。
管理人がアミパラここじゃに現れるようになったのは3rd発売少し前だったと思われる。
ZERO3,ストリートファイターEX2(1998/5発売)を少しやっていた記憶があるが
スト3-2nd(1997/10発売)をプレイした記憶は一切ない。
一番やりこんだのはSFCでスーパースト2。
このころキャンセルや目押しなどの概念を正しく理解する。
今になって振りかえると3rd発売から数年は、人生で一番最悪の時期の前半にあたるため何かと苦笑いである。

えあすと
【西条に来た時期】1998年春と思われる。
【ここじゃに来た時期】西条に来てすぐ。
【格ゲー歴その他】OJAとはここじゃでストリートファイターEX2での対戦で顔見知りになったらしい。
流行ってる格ゲーは大体やるみたいな感じ。後年OJA曰く「彼は格ゲーをやめることはできない生き物」。

・すずき(旧名KOH)
【西条に来た時期】1999年秋。
【ここじゃに来た時期】元々は神奈川県の社会人。
【格ゲー歴その他】関東でストZERO3の大会に出てウメハラ・ヌキ氏にボコられたことを記憶するなど、格ゲーの勃興を全て見てきた世代。
どちらかと言うとZERO、ハンター勢。関東引っ越し後は神奈川ビジョンなどにも顔を出していたようだ。

・モリヲ(旧名tss)
【西条に来た時期】1998年春。
【ここじゃに来た時期】西条に来てすぐ。
【格ゲー歴その他】えあすと、モリヲ、heiは高校の同級生らしい。

OJAとは音ゲーで顔見知りになったとのこと。
当時OJAがダンスダンスレボリューションの二人用を同時にやっていたらしい。
その驚異的なプレイをみて驚いたそうだ。
ある日OJAはビートマニアの難曲をクリアした後残り1曲あるのを知らずに帰ろうとした。
それをモリヲが教えてあげたことがあった。初めてまともに話したのはそれだったと思われる。
モリヲは元々ハンター・セイバーをやっていた。2ndもやってたがそれほどではなかったようだ。
なおハンターではOJAのフォボスにガロンで勝ったことがあるらしい。
ガロンのキャラ特性であるところが大きく、当時OJAは納得できなかったそうだ。

管理人とはいつ接触したか。スパイクアウトの地下室(2面?)のクリアの仕方の話を
OJAと管理人がしているときモリヲも混ざって話をしたのが初めてらしい。
だが管理人は1ミリも記憶していない。
4人で下見の交差点のすき屋で牛丼を食ったことがあるらしいがそれも一切記憶にない。

・SN
【西条に来た時期】1996年春。
【ここじゃに来た時期】西条に来てすぐ。
【格ゲー歴その他】ゼロシリーズを主にプレイしていた。ここじゃ以前にスト3をやっていたのでスト3-2nd経験者でもある。
ここじゃに限らず西条にあるゲーセンほとんどに行っていたという。
もちろん西条プラザでもプレイしていた。
無類のケーキ好きとして知られる。当時はケーキ屋でバイトしていたほどである。
たまに対戦中に筐体にケーキの箱が置いてあったという話がある。



1999年 [平成10年]
テキスト
5月以前

ストリートファイターIII 2ndがアミパラここじゃ店で稼働を始める。

2ndが入った経緯は、ここじゃ社員と仲が良かったOJAが3rd前の露払いとして2ndを入れることを推したからとのこと。
この頃、えあすと・モリヲがOJAに2ndでボコられることで仲良くなったとされる。
5月

ストリートファイターIII 3rd STRIKE -Fight for the Future- 発売。

ほぼ同時期にアミパラここじゃ店に入荷され稼働が始まったとされる。
8月
この頃に管理人がここじゃ常連になったと思われる。
OJAが異常に上手いのを見て自分もやってみようと思ったと思われる(記憶がほとんどない)。

ここじゃ常連3rdプレイヤーだったStein、某IとOJAが仲良くなる。
9月
ゲーメスト廃刊。
9月6日新声社の倒産により、1999年8月30日発売の第274号(9月30日号)をもって廃刊となる。
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※当時の現地を取材されていた方がいました。廃墟探訪「さよなら、メスト」
10月
すずき、仕事の都合で関東から西条に来る。OJAが対戦をしかけて顔見知りになる。
このときのことは管理人も記憶している。
ゴウキでアッパーキャンセル百鬼で攻め続けるスタイルのすずきに、OJAが「カッコイイ」と目をつけいぶきで対戦を仕掛けた。
その後どういういきさつで話すようになったのかは不明。

MAOとOJAが仲良くなる。MAOがここじゃのバイト店員だったこと。OJAとMAOが同じ講義を取っていたことなどがきっかけらしい。

某Kがメンバー経由でOJAと仲良くなる

蛮哲初期メンバーがほぼこの時期までにここじゃ3rd勢となっていたと考えられる。
注意:~勢って言葉は当時は存在していない。平成の言葉なのである。当時は「3rd常連」とか言ってた。

えあすと、OJAに勧められて12にキャラを変更する。(過ちの始まり)




2000年 [平成11年]
テキスト
1月
月刊アルカディア創刊 (※発売月は推定です。)
3月
某K、卒業により西条を離れ上京。蛮哲結成時に西条に居なかったただ一人のメンバー。
なお某Kは1996年春に西条に来たとされる。

すずきは関東に戻って以降、某Kとたまに会っていた。(詳細はこちら)
5月

THE蛮哲結成。

G-UP主催 第1回ストリートファイターIII 全国大会に参加する。

<<概略>>
メスターさんの ゲームサークル「G-UP」主宰で全国大会が実施された。 それにアミパラここじゃ店の常連が参加することになった。
これがきっかけとなり「THE蛮哲」が作られた。

※注)画像は第2回大会のものです。


■大会参加への経緯
・OJAが3、4月あたりに発行されていたアルカディアで 全国大会が行われることを知りアミパラのコミュニケーションノートに「誰か一緒に出ませんか」と書き込む。 
・コミュニケーションノートというのはゲーセンに一冊置いてあるノートで誰が何を書いても良かった。(90年代のゲーセンでは珍しくないものだった。)
・当時、神奈川に帰省する予定だったすずきがそれを見て「自分の実家(神奈川県)を宿として提供してあげられるよ」という趣旨のことを記す。
・それを受けてOJAが3rd常連に声をかける。
・結局、7人が東京に行くことになる。

■当時のあれこれ
・車三台で高速道路?を使って東京まで行ったとされる。
・ほぼ会話したことない人間同士が一緒の車に載り空気に困ったりもしたらしい。

・9人で3チーム作った。7人は西条在住のメンバー、残り2人は帰省していたすずきと既に関東在住の某K。
・Aチーム・・・OJA(IB?)、Stein(AL)、某K(EL?)
・Bチーム・・・えあすと(TW)、某A(KE)、すずき(CH)
・Cチーム・・・モリヲ(MA?)、SN(RY)、某O(当時高校生・・・彼が参加したのか他の誰かだったのかはっきりしない)

・管理人は就職活動で参加できなかった。
・OJAの認識だと、この「G-UP」というゲーム集団が後のラオウ軍になっていったらしいが真偽不明。

■大会結果
3チームとも初戦で敗退。

■時期・場所
・5月5日 江戸川区総合区民ホール(※場所は推定です。第二回と同じなら日時場所はこれ。メンバーの記憶によると、少なくとも場所は江戸川区だと思われる。)
  第1回に関するメスターさんの記事「狼は生きろ豚は死ね」も参照。
  OJAが「東京への移動日の前日から西鉄バスジャック事件があり、そのバスは東広島の小谷SAまできていた。」とはっきり覚えてるので日程は正しいと思われる。

・主催は若松組長という方だった模様。


■順位
・webさらっても情報はほぼなし。わからない。
1位:?、?、?
2位:MOV(CH?)、?、?

・あるメンバーの記憶だと以下らしいが一切保証無し。
1位:にっと(YU)、マッチ(GO)、ラオウ(CH)
2位:ときど(UR)、JOE(KE)、?


■蛮哲結成
・第1回全国大会に出るためにチーム名を決める必要があり「THE蛮哲」が作られた。
・名前の由来は、当時なぜか(数年前に放送されていた)VFのアニメの 話題がごくごく局地的にはやっており、
そのことから「座盤鉄でいいんじゃない?」というデタラメな提案がMAOからあったのをOJAが採用してしまったため。
・本稿では「結成時メンバー」は全国大会参加者+直後に加わった者「OJA、Stein、えあすと、MAO、管理人、すずき(当時はKOH)、モリヲ(当時はtss)、SN、他4名(某K、某I、某K、某O)」の10数名と一応定める。(結構適当な話なので後日修正するかも)

■全国大会に関するモリヲの記憶
・出発の日がバスジャック事件の日だった。西条のインターを使って犯人が護送された。
・12時間高速道路を使って東京に行った。早朝5時6時に出発した。
・車の数は?2台だったような記憶。
・Steinさんの車が道路を間違えてレインボーブリッジにいった。その時車でかかっていたBGMはスパイクアウト(CDか何かの)。
・Steinさんの車の搭乗者は「SN、某K、モリヲ」だったはず。
・初日は移動のみで終わった。
・モリヲ(MA), SN(RY), 某Oのチームだったらしい。チーム名は「野菜炒め丼@THE蛮哲」
 他のチームもそのような名前だったはず。
・OJAの車はspitzを大音量を流していたらしい。
・長い旅で飽きたため、社内の謎のゲームが実施された。「車のナンバーで4則演算をやって12になったらあの車をアホだと認定」というどうしようもない遊びで盛り上がった。
・Stein車では「アレックスの大Pの中段は見てからBLできる。見える見える。」という話が妙なテンションで話されおり、モリヲはそうですねと言うしかなかったらしい。でも彼は見えなかった。
・某Kの実家に止まったのは「某K、Stein、モリヲ」のはず。
・早めについたので新宿西スポ?にいった。前日祭のようなものがあった。えあすと、OJAらも同行したはず。そこであの「はやお」のヒューゴーが猛威をふるっていたという。BLしまくっていたらしい。その時えあすと、OJAもいたはずとされる。(この件の真偽は不明。年齢が合わない気もする。)
・大会の結果は全員一回戦負けに近かったと思う。
6月
常連だったが某K、某Oが蛮哲に(正式に)加わる。
某Oは当時高校生であり、「たまに母親が迎えに来ていた」という話まで残っている。
当時よくコミュニケーションノートに文章や絵を書いていたのを管理人が捕獲したらしい(申し訳ないが全く記憶がない)。

旧「THE蛮哲」サイトがOJAにより作成される。ジオシティーズ日本に作成される。これは現在も存在する。
ほぼ同時期に「裏THE蛮哲」(Stein)、「えあすとえんどわーるど」(えあすと)も作成される。

広島アミパラTOYOの3rd大会(第1回)に参加。

参加したメンバーは、すずき、えあすと、モリヲ、某K、Stein。
優勝:えあすと(TW) (今考えるとすごい)
二位:ワリオ(DU?)
三位:すずき(CH?)
というすばらしい結果を収める。

このときモリヲは一回戦でSteinと対戦することとなりがっくり来たそうだ。当時SteinのALはかなり強かったため。試合後はSteinに慰められたという。
8月

広島アミパラTOYOの3rd大会(第2回)に参加。

参加したメンバーは、すずき、管理人、MAO、えあすと、モリヲ、某K、OJA。
優勝:X-リュウ(愛媛から来た)
準優勝:L-I(同上)

このL-Iさんやこの日の大会に参加されていた広島市のプレイヤーなど数名は、
翌日アミパラここじゃで行われた大会にも参加していただき交流を深めることができたのだとOJAは記憶している。(ありがとうございました)

管理人の記憶だとこのL-Iさんがまこと兼いぶき使いであった。
「ネクロ:イブキで超電磁はないと思います。」発言や
「もうアーケードはいい。これからは通信対戦です。」発言を行っていたと思う。
この日の大会の結果だが、記憶だとL-IさんがOJAを倒して優勝だったはず。(※要調査)

ゴールドリバーさん 来訪。

経緯は、OJAがゴールドリバーさんが帰省することをweb上の何かで発見する。そして「ついでにアミパラここじゃに来て頂けないか?」と打診したところ快諾を得たとのこと。(今考えると結構滅茶苦茶である)
ゴールドリバーさんは「MGS」という非常に有名なユリアンのエイジス連携を既に広めていた。
この日は様々なエイジス連携を披露して頂いた。管理人も何かでハメられた記憶がちょっと残っている。
9月
すずきが仕事の都合で西条を去る。
11月
某K、西条を去る。
12月

広島アミパラTOYOの3rd大会(第3回)に参加。

参加者の詳細は不明。
優勝:えあすと(TW) (何か間違っている気が)



2001年 [平成12年]
テキスト
2月

広島アミパラTOYOの3rd大会(第4回?)に参加。

CASAと蛮哲がこの時に出会ったらしい。
愛媛の凄腕レミー使いT・K(仮)さん、 各地の大会に遠征することで有名なRIRIさんも参加していた。
3月

旧蛮哲前期の終わり → 旧蛮哲後期へ

管理人、卒業のため西条去る。大阪へ。
SN、卒業のため西条を去る。
4月
CASAが蛮哲に加わる。

広島レッツ 2on2大会

優勝:?
二位:ゴールドリバー, C-ma
三位:OJA, T・K(仮)

愛媛からT・K(仮)さんが遠征に来ていた。
ゴールドリバーさんとC-maさんも来ていた。その後、レッツでは妙にユリアンが流行ったという。
5月

G-UP主催 第2回ストリートファイターIII 全国大会

日時場所:5月5日 江戸川区総合区民ホール
参加:えあすと(TW)、モリヲ(MA)、竹輪(GO)
実績:二回戦敗退。

3on3だったため、香川の竹輪(GO)さんと共に参加したとのこと。
OJAは何らかの都合で参加していない。

■モリヲ記憶
・移動手段が不明だが電車かと思われる。
・泊ったのは某Kのところ。
・某Kの親にお小遣いをもらって皆で中華料理を食べにいったらしい。
・大会会場で竹輪さんと合流。
・某Kは別の人間とチームを組んでいたという。

■第2回に関するその他の情報
準優勝されたしびしゃさん(CH)が当日のことをwebに書いていた。これで日時場所確定。(こちら
決勝の動画がある。こちら

■順位
上記の情報をまとめるとおそらく以下。
1位:「ピーターパン」ヒコケン(KE)、しろイタチ(MA)、でく(YU)
2位:「ヒモ魚注意報! ~嗚呼もしもわぴこちゃんが黒髪だったなら~」D44(GO)、(CH)、しびしゃ(CH)
3位:「メスター萠え」ヌル(UR)、ハゲ(DU)、としぼう(YA)


広島アミパラTOYOの3rd大会(第5回)に参加

2on2のためOJA、えあすとで参加。
優勝:ゴム、メル・・・広島レッツ勢の強者チーム
二位:ZON、りずむ・・・九州勢。遠征に来ていた。
7月
某I、西条を去る。
9月

蛮哲四国旅行

10人、車2台、四国全県を回ったらしい。(管理人は一切知らないので適当です)

■四国旅行まとめ

※主にモリヲの記憶より

・OJAがでかい車を借りていったはず。しかし10人は乗れないレベル。誰か車を出した?

<<参加者が結構わからない>>

hei?、OJA、MAO、モリヲ、Stein、CASA?、えあすと?、SN、熊侍(ここじゃギルティ勢)、某H(ここじゃスパイクアウト勢)
(管理人、かたぎりは参加していないのは確実)

・ルートが不明瞭

おそらく岡山から瀬戸大橋ルートで香川に入った。
香川に一番最初に行った。うどん食った。セルフサービスで食った。
高知で泊った。モリヲがコテージ的なのを手配したと記憶している。
徳島の記憶なし。愛媛の記憶なし。しまなみ街道で帰った?

OJAが畑に落ちているミカンを食ってうめえとか言っていたらしい。(やばい)

紅蘭のおかみのために一六タルトを購入した。(※紅蘭とは西条の中華料理屋で現在は閉店。メンバーが良く利用した。)

バンガロー(モリヲの言うコテージと思われる)に宿泊するのを3名(MAO、熊侍、SN)は嫌がった。
ぱっと見かなり厳しい感じだったらしい。そのため3名はホテルに泊まった。
10月
管理人、東京に転勤。葛飾区に住むようになる。仕事中心になり、この頃からほぼゲーセンに行かなくなる。
11月

岡山アミパラウェルカム大会

蛮哲勢、広島レッツ常連、ゴールドリバーさん、C-maさんが参加している。
店から招待を受けたらしい。(要調査)



2002年 [平成13年]    
テキスト
2月

第1回九州大会

福岡は二日市サブカルチュアで行われた。
九州勢の戦闘力に驚く。関東から有名プレイヤーが遠征してきていて大会は盛り上がった。

蛮哲からは少なくともOJA(YU)、えあすと(TW)が参加している。

・「死闘」
(以下、OJAの昔の日記からの引用)

ピノ(ピノAB7)さんのネクロとえあすとの12とが対戦しているさなかに起こった事件(?)
電撃蛇を食らってスタンした12に止めを刺そうと、ピノさんのネクロがPA(攻撃力アップ)を出したところ、
間違ってPA自体を12にヒットさせてしまい、12はすぐにスタン状態から復帰。
とは言え、すでに12の体力は残り2割を切っており、対するネクロの体力は7割前後。
普通はこのまま押し切って勝つのが順当なところ。
しかしピノさんは何を思ったのか(恐らく混乱されたのだと思う)、「追っかけて来るなあ!」と叫びつつ、
ネクロのあのゆっくりとしたドリルで12から逃げようとし、
えあすとの12が「待てー!」と言いながらそれを滑空で追うという、
世にも奇妙な光景が展開された。
当然ながら周囲は爆笑。
結局その試合はピノさんの勝利に終わったのだが、周囲からは両者に惜しみない拍手が送られたという。

※サブカルチュアは2011年5月に閉店している。
3月
えあすと、SN、モリヲ、(おそらくheiも)が西条を去る。
「アミパラに住んでいる」とまで言われたえあすとが西条を去ったことは大きかった。
4月
かたぎりが西条に来る。まもなく蛮哲に加わる。
当時は西条の蛮哲メンバーが減少していたので、もしも新入生3rdプレイヤーが西条にやってきたら
即座にメンバーに 加えてしまえという趣旨の「新入生ゲットだぜキャンペーン」が行われていた。
9月
管理人、転職を期に江戸川区に引っ越し。
引っ越し後は3rdをたまにやることもあったがもはや全くやる気なし。
当時はピノAB7さんが西葛西のMOMにたまに来ていたのは少し記憶している。

MAO、西条を去る。
10月

第2回九州大会

関西のSNから突然OJAにメールが来る。
「突然ですけど、12日の九州大会に蛮哲から参加する人はいるんですか?」

色々考えた末に行くことを決意し、えあすとに連絡してみる。
「えっと、実は例の九州大会に行こうと思ってるんで、ちょっと時間はとれそうにないんです。何かあるんですか?」
一人で行くつもりだったらしい。

こうして広島からはOJA、えあすと、かたぎりが参加。


SNが出た経緯は以下となる。
当初はピノさん(NE)、滅殺野郎さん(UR)、TKさん(Q)がチームで出場する予定だったが、
TKさんが急遽出られなくなった。
とある日、SNがどこかの駅で電車を待っていると滅殺野郎さんと偶然出会う。
SNは滅殺野郎さんと知り合いだったらしい。
その場で事情を話され「一緒に九州大会出ないか?」と誘われる。SNは出場を決意した。


かくしてSN、ピノAB7、滅殺野郎というチームが結成される。
メンバーは高速道路で二日市へ。
SNは大阪→東広島と来て、そこから車に載せて行ったらしい。


・「くじの結果が12」事件

>参加費500円を支払い、早速くじを引きます。
>「この箱の中から紙を一枚取って下さい」
>「えーと、これにします」
>「はい、じゃあ開いてみて下さい」
>そう言われたので二つに折られた紙切れを開いてみると、なぜかそこに書かれていたのは「12」という数字。
>これまでにくじを引かれたチームの様子を端からうかがっていたときには、「Aの3」とか「Dの1」とか、
>グループの記号と番号とが記されていたようだったのですが、僕が引いた紙に書かれていたのは、AでもBでもない、ただの12。
>「えっと、12と書かれているんですが……」
>「あ、それはこちらの手違いです、申し訳ありません。もう一度引いていただけますか」
>うーむ、なぜよりによって12だったのだろうか、などと思いつつ、もう一度引くと、今度は大丈夫でした。


以下に記録に残っているチーム名を記しておく。

・THE蛮哲チーム「12の中足を見てから食べる」
・ピノAB7チーム「ジョージアさん、Qに負けたからってまことで乱入するのはやめて下さい 『丹田だからいいんだよ!』」
・ジョージア・弟子犬さんらのチーム「オレンジシロップはメジャーなんだよ!」
モコモコフるー・ゴングさんらのチーム「ファンタジスタオンライン見てけろ見てけろ」
・優勝したチーム「獣の王」

蛮哲チームは「ファンタジスタオンライン見てけろ見てけろ」に撃破される。
敗者復活戦では「ピノAB7チーム」に撃破される。

試合後は主催の嶽花さんのお宅にメンバーは宿泊させて頂いた。
11月

京都a-cho 2on2大会

tss(モリヲ)・かたぎりチームと、えあすと・OJAチームで参加
この時、岡山のプレイヤーはじめさんと知りあったと思われる。
以後蛮哲に深く関わる。
12月

第1回闘劇 予選

闘劇は7つのエリアがあった。
「中四国」エリアは三つの代表枠があった。
予選が行われるのは、広島県の二カ所と鳥取県の一カ所だった。
広島は「アミパラここじゃ」と広島市の「レッツ」(閉店)で予選が行われた。


■アミパラここじゃ予選

アミパラここじゃではTHE蛮哲が本戦出場権を取った。(12/8)
以下OJAの日記より引用。

>準決勝(2回戦目)に当たったのは西蛮哲。正式名称はTHE蛮哲広島西支部ですが、要するに身内です。
>さほど緊張せずに戦えるわけです。ここはえあすと君の12が3タテを決めて勝利。
>決勝(3回戦目)は広島市にあるレッツの常連3人。
>この人たちも、身内とは言い難いのですが、かなり親しくしている人たちなので、特別に意識せずに戦える相手です。
>準決勝で3タテを決めているので、そのままの勢いを生かそうと、えあすと君が先鋒に立ちました。
>相手方の一人目は春麗。レッツチームのキャラ構成は春麗・ユン・ケンだったので、
>えあすと君曰く、12としては、とりあえずもっとも戦いやすいキャラクターです。
>しかし、一進一退の攻防の末、えあすと12は負けてしまいます。
>こちら側に残っているのはかたぎりQとOJAユン。
>ここでQを春麗にぶつけるのはさすがにどうかと思ったので、二番手には僕が出ました。
>決着はファイナルラウンドまで持ち越されたものの何とか勝利。
>次のユン同キャラ戦も恐ろしく怪しい内容ながら勝ち、ケンを迎えます。
>ここで僕は負けてしまったので、勝負は大将戦に。
>結局、ここでかたぎりQがこれまたかなり嘘っぽい勝ち方をし、優勝するに至りました。

この時のチーム名は「ラブラブ党西条支部」。

■レッツ予選

レッツでは2003/1/13に予選が行われた。
優勝はレッツのチーム。メルさん、ゴムさん、あと某誰か。(KE/CH/YUの3キャラを使っている)

参加したのは11チーム。

・OJAの日記に記録されていた参加者の一部が以下

徳島勢+FAQさん・えりほさんのチーム
ピノさん・滅殺野郎さんのチーム
嶽花さん・はじめさん・モリヲ(tss)のチーム

ピノさん、滅殺野郎さん、嶽花さん、はじめさんは
前日の夜はかたぎりの自宅に泊ったらしい。
3rdだけではなくビキニカラテというゲームに熱中し消耗する。

当日の試合形式は以下。

>上にも書いたとおり、今回の参加チームは全部で11。ちょっとキリが悪い。
>大会の形式は、レッツの店員さんの提案によるものだったみたいだけれど、
>全11チームを4・4・3の3グループに分け、それぞれのグループでトーナメントを行い、
>勝ち残った3チームによる巴戦を一位で勝ち抜けたチームが優勝を勝ち取るというもの。
>ここのところに関してはみんな納得していたみたいで、筐体は2セット(計4台)用意されていたし、
>僕も、下手にシード枠を増やしたりするよりは、こちらの形式の方がずっとよかったと思う。

蛮哲のStein・CASA・MAOチームは嶽花さん・はじめさん・モリヲ(tss)のチームと一回戦で当たる。
ここではSteinチームが勝利したが、その後二回戦で敗退。


なおレッツではスト2Xの予選も行われた。
ここで、上位3チームが「東京まで行くのは無理」と放棄するいうハプニングが起きる。
結局やりなおしてOJA(サガット)とCASA(ガイル)、ALF(?)が出場権を得た。ALFさんはレッツ常連。
というわけで実は蛮哲は「スト2X」でも闘劇本戦出場をした経験がある。

鳥取予選について。12/7に予選が行われたらしい。場所は「スーパーヒーロー倉吉店」。
徳島から遠征してきたプレイヤーの方々が優勝したとされる。



2003年 [平成14年]
テキスト
3月
この頃、hei(柊)が3rdもやり始め、蛮哲の一員として定着する。

広島「レッツ」閉店。広島駅周辺の再開発計画の関係で立ち退かざるを得なくなったとのこと。
ねずぎよさんという有名な格ゲープレイヤーを輩出するなど名門だったがここで歴史を終える。
なおユンのトッププレイヤーで有名なSHOさんも元レッツ勢だったらしい。(とメンバーは語る。)

第1回闘劇 本戦

・OJAの記憶では千葉幕張メッセで行われたとされている。wikipediaの記録と一致する。

・移動手段
  OJA:電車か高速バス。
  かたぎり:青春18切符で京都から東京へ
  えあすと:(不明)

THE蛮哲は一回戦で敗北。
当たった相手は「ABC」という愛知代表。
梅門さんがチームに居た。

試合結果の詳細は以下。

○えあすと(TW) - UR
×えあすと(TW) - EL
×かたぎり(Q) - EL
○OJA(YU) - EL
×OJA(YU) - KE

「えあすとがライノホーンガード後に投げようとしたのだが、それが遅れてブレイブダンスをくらって敗退したのが痛かった。」
OJAは未だにこのことを苦々しく語る。


なお、このタイミングでえあすとは引退するつもりだったらしい。
(しかしその後は関東で活動し名前を高める)

広島レッツ勢も一回戦で敗北。
ヤンSA3対策ができてなかったのが敗因とのこと。
当時広島ではヤンプレイヤー自体がいなかったらしく
地方の厳しさである。
(OJAの当時の推測だと広島のプレイヤー数は20~30人程度しかいなかった。)

なおOJAは闘劇にSF2Xでも参加したがこちらも一回戦負け。

OJAはこの上京時に大山ニュートンと西葛西のMOM(閉店)でトーナメントに参加した。
おそらくだがこの時管理人も参加した気がする。

ちなみにこの頃ぷよぷよのコンパイルが倒産する。
4月

アミパラここじゃ 3rd大会

4/6に大会が実施された。
優勝:Stein、準優勝:某O


アミパラここじゃで3rdのランバトが開始される。


第一回(4/26)は18名が参加。
主催はかたぎりが頑張ったらしい。
OJAは司会(読み上げるだけ)を実施。

参加者
えあすと、メルさん、ゴムさん、はじめさん、呉勢などなど。

ランバト後に広島岡山対抗戦を実施。

広島A-5名
広島B-5名
岡山-5名
で5on5対戦。

5/10第二回ランバト
5/26第三回ランバト 約10名参加
8月

第3回九州大会

かたぎりのみ参加した模様。
片桐(Q) 匁(IB) コバルト(CH)

旧蛮哲後期の終わり → 以後は個人で適当活動

11月

第3回クーペレーションカップ 5on5

管理人が江戸川区に住んでた頃、
蛮哲メンバーが大量に上京したことがあった。
(しかし今となっては誰も詳しく覚えてない件)
おそらくこのクーペに参加するためだと思われる。

■「蛮哲とウェル」
オチャ(ホンジ)(YU)・ムナカタ(DU)・某K(EL)・えあすと(TW)・かたぎり(Q)

他のメンバーも出場したと思われるが・・・よくわかってない。
webに記録がほぼ残ってない。
12月
翌年に入ってすぐに管理人は池袋界隈に引っ越す。アーケードゲームを一切やらなくなる(2015年まで続く)。
ただし一度だけやった記憶が残っている。
2010年頃、3rdと全く関係ない場所で某人物と知り合う。
後で3rdプレイヤーだとわかり、池袋ラスベガス(閉店)で一回だけ対戦する。
その後、その人物はクーペ決勝トーナメントに残るほどのプレイヤーとなる。

Street Fighter III 3rd Strike The 1st a-cho cup 「激闘劇場」

OJAが参加したらしいがよくわかってない。関東勢が優勝。


<<旧蛮哲はここまで。有難うございました。>>



※形意拳。台湾の格ゲー。3rdを強く意識した作風。アミパラここじゃで稼働していた。そのため、蛮哲メンバーは少しプレイできる。
2017年現在、世界でも数十人しかプレイヤーがいないと思われる。webにもあまり情報が無い。
OJAはスコーピオン、管理人はロータスマスターが持ちキャラだった。





その後の蛮哲界隈   ~ウェルカム・ファンタジスタ編~
・概ね個人単位での活動が続く。一方で失踪・引退したメンバーも多い。
・OJAは2004年3月、かたぎりは2006年3月に西条を去ったらしい。
それにて西条からは全ての蛮哲メンバーが消える(広島市内には数名残る)。

以下は以降にあったことのメモです。



2004/1~2月頃 闘劇第二回予選

■岡山アミパラウェルカム

OJA(YU)、ふおさん(YA)、ZMSさん(GO)

蛮哲からは某O君とかたぎりの二人も出場。
二人はそれぞれ岡山の方々とチームを組んだらしい。

ふおさんはSA3ヤン。
ZMSさんは鳥取でのランバトでも優勝した名手である。

しかし残念なことに一回戦敗退。
徳島勢のまこと使いに3タテを食らう。

優勝はピノさん、滅殺野郎さん、イブキ12さんチーム

このときふおさんと島根3rdシーン情報を聞くが
広島と同じで閑古鳥の模様。
当時の空気的には「地方の3rdはもう終わり」という感じだったようだ。

なお第二回闘劇の中四国予選は岡山と徳島で行われている。
広島と鳥取は3rdプレイヤーが激減していたのだと思われる。


■徳島の予選

かたぎり(Q)、オチャ(YU)、ムナカタ(DU)
※準優勝している。


■福岡の二日市サブカルチュア

111(YA)、ムナカタ(DU)、OJA(YU)
※準優勝

OJAは111さんとは3rdキャラ別掲示板(現在の3rdちゃんねるの前身みたいなもの)のいぶき板で知り合った。
111さんはおそらく兵庫在住だったと思われる。
氏はあまり出る気はなかったが「ラーメンも食べたいし闘劇(予選)に出ましょう」となった。

ムナカタさんは前日に広島入り、かたぎり宅に宿泊。
その日はアミパラここじゃで10人ほどで対戦。
当日は嶽花さんのお宅に宿泊させていただくことになった。
岡山のはじめさんも合流する。

リーグ第一試合は嶽花さんやはじめさんのチームとあたる。残念なことに。
ここはOJAチームが勝利。
第二試合、第三試合も勝利し決勝トーナメント行き。

決勝トーナメントは決勝戦まで行くが
弟子犬(KE)、178(DU)、牛!?(UR)に圧倒され敗北。
惜しくも闘劇本戦出場権を逃す・・・

後日のOJAの談(日記より)
「ムナカタさんから闘劇福岡予選の試合を収めたビデオテープを受け取って帰宅。
大会にしてはかなり動けているし、 「俺もなかなかいい動きをしているではないか」などと自画自賛してみたが、
決勝でのやられっぷりがあまりにひどく、 それがすべてを台無しにしているなあと思った。」



2004/2月頃 岡山・広島対抗戦@ アミパラここじゃ

岡山勢:オチャ(YU)、コバ(HU)、タスク(KE)、はじめ(IB)、ムナカタ(DU)、ユウ(YA)
広島勢としては蛮哲メンバー以外にコバルト(CH)さんが参加していた。。
対抗戦はムナカタダッドリーが連勝を重ねて岡山勢の勝利。



2004/3月頃 鳥取遠征

蛮哲と数名で鳥取遠征を実施している。
ゲーセン名は日本メカニック(閉店)。
参加メンバーは某O、兵さん、OJA、滅殺野郎さん。
道中は大雪にやられて苦しんだ。

「この先生きのこ」事件

山道を走っている時の話。
「この先生きのこ」と縦書きで書かれてる看板があった。
険しい山道のカーブで、二行目はカーブの内側の崖に隠れて見えない。

崖から落ちたら即死の山道だったため、
「生きのこ(れ)」とか「生きのこ(るにはスピードおとせ)」とか
そんなフレーズが続くんだろうと車内でメンバーは怯えた。

すると二行目は「直売所」だった。
(つまり「この先 生きのこ直売所」だった)
紛らわしい看板作るな! と皆で突っ込んだ。



3/16頃 岡山遠征

おそらくウェルカム。
モリヲ(tss)君、111君、某O君、OJAの4名。 hei(柊)は都合上無理だった。
ムナカタさん(DU)とコバさん(HU)と主に対戦する。
はじめさん(IB)、椎茸さん(UR)ホンジ(オチャ)さん(YU)も少し参加したそうだ。



2004/3/27 京都achoの大会


蛮哲として出場。チーム名は「蛮哲ミュウミュウ」
2on2。参加したのは以下。
OJA、えあすと・・・チーム名「蛮哲ミュウミュウ」
他にも蛮哲メンバー数人行っているがどうチーム組んだかは不明。SNは参加している。tss(モリヲ)は観戦したらしい。

この時、OJA、えあすと、はじめさんは、 西条のギルギア好き熊侍さんの車で京都に向かったとされる。
残りのメンバーはStein車で向かったのだろうと思われる。

※はじめさんのブログは九州勢の御大のサイトに保存されている。
蛮哲メンバーの名前も記事の多く残る。こちら


・「かたぎり親御さん心配になる事件」
この日、多くのメンバーがかたぎり実家に泊ったらしい。
はじめさんはかたぎりとは初対面だった。
かたぎりの親が「息子がいつもお世話になってます」と話かけてきたのに対して
はじめさんは「いえ初対面です」と答え空気が微妙になったらしい。


・「マクドの隣」事件
Stein車はachoの場所がどこかで迷っていたらしい。
かたぎりがachoの場所を「マクドの隣」と電話で教える。
どこのマクドだよとMAO、Steinが憤る。
全部モリヲのせいにされる。

※この日について、はじめさんも日記を書いている。こちら

・「OJAが厳しく指導する事件」
SNの記憶によると、某Oが免許取り立ての状態で広島から京都まで車を出したらしい。
そのときOJAが某O君の運転を厳しくダメだししていたそうだ。



ジスタ

2004/4月頃、OJAは倉敷に居たため岡山勢となる。自ら「ウェルカム勢」などと称す。
またファンタジスタにも初めて来店。良い感触を得る。

「喫煙者であるぼくが言うのも変な話だけど、店内が禁煙というのもいいと思う。
ちゃんと店の前には喫煙スペースもあったし。」

その後ジスタには蛮哲メンバーが度々訪れるようになり、The蛮哲聖地の一つとなる。

※2017年クーペで蛮哲を応援してくれるジスたん



2004/8/1 ファンタジスタの3rd大会

参加者は26名。
当時広島で大会をやっても10名集まらない見込みだったというからすごい。

tss(モリヲ)、広島から蛮哲メンバー数名
兵庫からは111さん+その友人2名

シングルトーナメント戦と2on2。
OJAはtss(KE)と組んだ。
シングルはムナカタさん、2on2もムナカタさんらが優勝している。

詳細はこちら:[single] [5on5]



2004/9/25 ファンタジスタの3rd大会

参加者は37名。
中四国エリアとしては驚異的な数字。
アルカディアに出されたらしい広告の威力だろうか。

広島、鳥取、島根、兵庫、大阪、香川、徳島などから終結。(山口は0)

広島、大阪、鳥取から蛮哲メンバー数名が来た。
なお、この大会にえあすとは事情で参加していないが
小足小足XNDLのヒット確認ができていた時期らしいので惜しまれる。

兵庫からは111さん+その友人2名が来ていたそうだ。

シングルは滅殺野郎さんが優勝。
5on5はかたぎりを含むチームが優勝している。

詳細はこちら:[single] [5on5]


・「SNと関西」
ゴールドリバーさんの記憶。
ファンタジスタの大会の後(何時の大会かは不明)、皆でご飯を食べているとなぜかモリヲとSNさんがはぶられていたという。
このとき、SNさんが「これから(就職で)大阪に行くのでよろしくお願いします」とゴールドリバーさんに伝えた。
これをきっかけにSNは関西シーンに入っていくこととなる。
関西引っ越し後はゴールドリバーさん宅で朝まで3rdをやることはしばしばあったらしい。




2004/10月頃 第4回九州大会


個人戦はOJAは予選三位で決勝トーナメントまで行くが、
0回戦目では勝てたものの、1回戦目でムロさんのケンに完封負けする。

団体戦3on3は予選リーグで三位で終了。
はじめ(CH)、かたぎり(Q)、OJA(YU)。

なおこの大会には柊(hei)も参加している。



2004/11月頃 京都a-cho大会

この大会におそらくOJAは参加できなかった。

以下OJAの昔の日記からの抜粋。

「僕はムナカタ君(DU)、ユウさん(YA)の二人とチームを組み、
さらにコバさん(HU)を含めた4人で京都に向かうことになったのだが、
これがちょっと恥ずかしいことに、当日に僕が寝坊してしまい、 結局大会には出られなかったのだ。」




2004/12/19

「The 2nd a-cho cup 格闘維新」



以下OJAの昔の日記からの抜粋。

「 変わって12月。やはりここは格闘維新ですな。えーと、僕は一試合にだけ出て負けました。
勝率0%。うひょー。恐れていた脚ガクガク状態ですよ。
一回戦目は先鋒ムナカタ君が3タテで勝ってくれたので、
結局二回戦目で敗退という結果なんだけど、
一度も勝っていないんじゃ一回戦目だろうが二回戦目だろうが同じことですな。」

ちなみにこの大会はあのウメハラさんが団体戦準優勝している。




2015/1月頃 第3回闘劇予選

1/10の徳島予選で岡山勢のムナカタ(DU)さんとオチャ(YU)さん優勝。
闘劇本戦出場を決める。
OJAが感心している記録が残っている。


2005/2月頃 第4回クーペレーションカップ

この頃のクーペはもう5on5のようである。
オチャ(YU)、OJA(YU)、他3人で出たようだ。

これに備えた2004/12/30にジスタで大会があり、18名が参加した。
このときは対戦台が2台となり、ふおさんがMCをやるなど質の向上が見られたそうだ。


以上、番外編はここまで。



その他の話のメモ


■「寸止め地獄第二章」
・2004年かは不明だがこの頃モリヲがゴールドリバー亭に行くことがあったらしい。
そのとき寸止めリュウにぼっこぼこにされたそうだ。
ただ何の経緯でそうなったのか、どうやって行ったのかなどは全く記憶が無いがトラウマだけは強く残っている。


■「九州大会 よもやま話」
モリヲとOJAが参加した回がある。おそらく他のメンバーも居た。
夜はモリヲが手配したビジネスホテルで泊る予定だった。
するとOJAが「せっかく手配してくれたモリヲには悪いが、俺は嶽花さんの家に泊り夜通し3rdをしたい。」という話を繰り返し述べたという。
しかし結局OJAはそれを実行しなかった。モリヲに黒い感情が残ったようだ。


■「SNは関西組に入っていた」
今はないらしい関西組(関西勢?)にSNが入っていたらしい。
下記のように紹介されている。引用元はこちら



■「すずき関東に戻った後」
すずきは関東に戻った後、蛮哲初期メンバーだった某Kと連絡を取り合いたまに3rdをやっていたという。
場所は大森のセガワールドなどである。

とある日、すずきは自宅にて
スキルスミスのコンボビデオを某Kさんにあげた。
それは西条に居たえあすとに送られ、OJAが入手した(らしい)。

また、すずきは大岡山のゲーセンで某Kにあるかさんを紹介してもらったことがあった。
その後一緒に飯を食ったりしたらしい。
某Kはその後ギルティ勢となったため徐々に疎遠となった。

そして伝説へ・・・

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